櫛田神社

福岡市博多区上川端町1-41 (平成22年4月1日)

この神社は、博多駅の北西1km程の辺り、博多の街中に鎮座しております。古くより博多の総鎮守として信仰を集めており、7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事を行うことで有名です。5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子は櫛田神社から出発するしきたりになっていて、旧社格は県社。地元の人達からは「お櫛田さん」と呼ばれているようです。

社殿によれば、天平宝字元年(757)の創建とされ、古くから博多津中の鎮守として人々の崇敬を集めてきました。当社の例祭として執りおこなわれる博多どんたく(松囃子)・博多祇園山笠。博多おくんちは、福岡市を代表する例祭として全国的に知られています。境内には県指定天然記念物の櫛田の銀杏、県指定文化財の蒙古碇石・力石、飾り山笠や博多歴史館があります。

博多総鎮守櫛田神社
御祭神
左殿 天照皇大神(大神宮)
中殿 大幡主大神(櫛田宮)
右殿 素盞鳴尊 (祇園宮)
當社は鎮西の雄都博多の守護神とし天平寶字元年託宣により大幡主大神を鎮祭した。天照皇大神の御鎮座は之より更に古い。素盞鳴尊の奉祀は天慶4年(941)に追討使小野好古が反亂の鎮定に下向し京都祇園宮を勧請して祈願した由縁による。
爾来源平合戦蒙古軍の襲来等九州の地に異變勃発の重大事ごとに史上有名の人士を始め一般庶民の篤い尊崇を集め就中菊池武時豊臣秀吉等の起請の事績は廣く世に知られている。近時福岡市の発展と共に殖産興業陸海交通の守神として信仰愈々篤くまた開運厄除不老長寿の神として今日の社頭の隆盛を見るに至っている。
當社の祭禮中祇園例大祭は國の重要無形民俗文化財に指定された博多祇園山笠の奉納行事によって全国的に名聲を博し七百五十有余年傳来の夏祭の豪華版である。・・・・・・
境内由緒書より。由緒書原文や境内案内図はこちら。

社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられるが、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説が最有力であり、櫛田神社の宮司らが編纂し昭和40年(1965年)に文部省(当時)に提出した『博多山笠記録』や昭和54年(1979年)に福岡市が発行した『福岡の歴史』はこの説を取り上げている。しかし、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もある。
戦国時代に荒廃した[1]が、天正15年(1587年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された。
明治元年(1868年)の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していた。
ウィキペディア より

表参道入り口(西門)

社号標と楼門。「稜威(いつ)」斎(い)み清めたこと。神聖なこと。

神門前の招魂社系狛犬

境内

中神門

中神門前の狛犬。「再興石造狗犬」と台座にあります。ブロンズの狛犬が供出させられ、石で再興したのでしょうか。拡大写真はこちら。

(昭和19年(1944)11月23日再興)

拝殿

向拝下の波乗り兎や龍等。拡大写真はこちら。

拝殿内部

本殿前の色鮮やかな神殿狛犬。拡大写真はこちら。

本殿裏側

祇園祭に使われる山笠  

南神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

年代不明

御神木の銀杏

御神木

摂社末社はこちら。