京都市西京区大原野南春日町1152 (平成31年4月6日)
東経135度39分32.64秒、北緯34度57分25.68秒に鎮座。
この神社は、京都縦貫道・大原野ICの南600m程の辺り、南春日町の街外れに鎮座しております。
御祭神 武御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比淘蜷_
由緒
桓武天皇は長岡京遷都に際し、藤原氏出身の皇后のために、大和の春日社の分霊を、この地(平安京西郊、小塩山東麓)に勧請したことに始まり、平安時代にお入って文徳天皇が外祖父、藤原冬嗣の念願をうけて神殿を建立、地名にちなみ大原野神社とした。
当社は藤原氏の氏社として、斎王にならい藤原氏の子女を斎女として置いた。藤原氏の皇后や中宮の参詣が多く、紫式部も中宮彰子について参詣しており、また紫式部は、父藤原為時の任国である越前(福井)で、雪の日野山を見ながら小塩山を思い出し「ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがえる」(『紫式部集』)と詠っている。
『源氏物語』「行幸」では、冷泉帝が大原野行幸を行い、京の人々が見物に訪れるなか、玉鬘や六条院の人々も車を寄せて行幸を見物している。物忌で同行しなかった光源氏は、帝からの歌に応えて「小塩山みゆきつもれる松原に 今日ばかりなる跡やなからむ」と寿いだ。
境内由緒書き より。
参道入口と一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
手水舎
拝殿
鹿
拝殿正面
本殿
鯉沢の池
若宮神社
末社