淀姫神社

菊池郡大津町平川236(平成24年4月8日)

東経130度53分23.98秒、北緯32度54分10.82秒に鎮座。

 この神社は大津北小学校の東北東約400m、峠川の北に鎮座しています。
 綺麗に組まれた石垣の上に社地があり、石段を上がると鳥居。その後ろには大正6年生まれの狛犬が居ます。境内左右には境内社が祀られ、中央奥に唐破風付きの拝殿、弊殿、本殿が建立されています。
 姫神を祀るだけあって、とても清々しい趣の神社です。

 御祭神:淀姫神、竹内宿禰神、比東芬q神
 祭礼日:9月11日・願成祭、11月15日・秋祭、12月31日・除夜祭
 境内社:2社
 由緒:菊池から阿蘇への古来の交通ルート上に位置する平川には、古くからの人の生活があり、それに伴って多くの神社仏閣があります。その中でも主なものの一つが、この淀姫神社です。ここには、次のような神社縁起の伝説があります。
 「平安初期光仁年間(9C初)の頃、肥前(佐賀県)川上に国外まで知られた玉かづらという美女がいたという。ある時豊後(大分県)からとも、阿蘇からとも言われている忍びの者たちが、この美女を盗み出し、ここ(平川)まで逃げてきました。玉かづらは、信仰する淀姫神に一心に助けを祈りました。すると、百騎ばかりの侍が現れて、忍びの者たちを追いかけて戦いをしかけ、ついに玉かづらを救い出して帰るところに、一族の者たちが追いつきました。すると、百騎の侍はいなくなりました。これは、淀姫神のお助けであろうと、すぐに宮を建て淀姫宮と名付けました。また、侍たちの消えたところを百騎帰(杉水)といいます。」(『合志川芥』より訓)
 淀姫神社は、佐賀県に多く分布し、淀姫(=与止日女・世田姫・豊玉姫)を祭神とする神社です。伝説も、ここを舞台に肥前の勢力と豊後・阿蘇との関わりを示しています。ここの淀姫神社は『菊池郡神社誌』によると、戦国期大永元(1521)年に創建されたそうです。その後、この地域一帯は広く肥前の龍造寺勢力と豊後の大友勢力との対決の舞台となりました。
 現在、地域では、宮本、仮宿、多々良、馬場、御所原の5地区が、交替で祭りのお世話をしています。祭日は、。9月の「願成祭」で子供相撲の奉納があります。11月の秋祭りには、平川合志神楽と浦安の舞が奉納されます。さらに、一宇太鼓がここを拠点に活動しています。

社頭
神社入口
境内入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
境内入口にいる大正6年生まれの狛犬
阿蘇市一の宮町宮地阿蘇神社の狛犬が「石工・熊本市河原町 松尾徳一」と記されているので、兄弟かと思われます。垂れ耳で前脚が短く、その分首が前に長く突き出ています。尾の形は熊本としては珍しいかも…?
狛犬の拡大写真はこちらで
(熊本市河原町石工・松尾徳市 大正6年(1917)11月建立)
境内の様子
唐破風付きの拝殿
拝殿内の様子
弊殿と本殿
本殿木鼻・狛犬と象

境内社 境内社
猿田彦大神

ご神木