鎌倉市雪ノ下2-1-31(平成18年11月17日)
東経139度33分34.62秒、北緯35度19分22.08秒に鎮座。
【狛犬情報:Mikuさんより戴きました】
相模國一宮で、関東周辺では殆どの方がご存じの超有名神社です。ここに昭和の初め頃には大階段上の本宮随神門前に置かれていたのに、大階段改修に伴い階段下に降ろされたという曰く付きの狛犬が居ます。神社の永い歴史の中ではままあることなのかも知れませんが、狛犬探偵団さんが詳しく調査されていますので、そちらをご覧下さい。
御祭神:応神天皇、比売神、神功皇后
例祭日:9月15日
由緒:創祀は康平6年(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るとすぐに由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷座し、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として厚い崇敬を寄せました。 以後武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。
本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉公の造営による代表的な江戸建築で、
若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、
静御前ゆかりの舞殿や樹齢千年余の大銀杏が八百年の長い歴史を伝えています。
鶴岡八幡宮公式サイト より
此の度、厚かましくも、剣貝さんに八幡宮の写真をお願いしました。その写真をお送り戴いたので、再編集して掲載いたします。
【神社情報・剣貝さんより】
最初に訪れた時は境内に人が多く、主に境内社を撮りました。朝早く鎌倉を訪れる機会がありましたので静かな境内と合わせて紹介します。一の鳥居は若宮大路(由比ヶ浜(滑川交差点)から鶴岡八幡宮に通じる参道)、若宮大路公園近くにあります。上宮回廊内は撮影出来ません。内部には武内宿禰命を祀った武内社が鎮座しています。
御由緒
鎌倉に八幡宮を祀ったのは、八幡大神が清和源氏の氏神であり、源頼義、義家、頼朝らが鎌倉を根拠の地としたからである。源頼朝は源氏再興の旗を上げ、治承4年(1180)10月、鎌倉に入ると先祖頼義の祀った鶴岡若宮の神前に詣でて籖をひき、神意を伺って現在の地に奉遷した。その時のことは「吾妻鏡」の治承四年(1180)10月12 日の項に見えている。「辛卯快晴。寅の尅、祖宗を崇(あが)めんがために、小林郷の北山を點じて宮廟を構へ、鶴岡宮をこの所に遷したてまつらる。」
この鶴岡宮とは後冷泉天皇の御代、康平六年(1063)、源頼義が『前九年の役』で奥州を平定した帰途、かねて御守護を祈って出陣した石清水八幡宮を鎌倉由比郷鶴岡の地にひそかに勧請して社殿を建て、永保元年(1081)2月に頼義の嫡男八幡太郎義家が修復を加えて祀っていた社であった。以下省略
神奈川県神社庁公式サイト より
明治維新までは、神仏混淆の寺院で、正式には「鶴岡八幡宮寺」といわれ、仁王門、薬師堂、鐘楼などの仏教施設も建てられていました。しかし、明治の神仏分離令によって仏教施設は悉く廃除されたが、一部は鎌倉寿福寺、浅草寺、普門院、五島美術館、東京国立博物館に保管されているようです。
由比ヶ浜。鎌倉時代には、鶴岡八幡宮の前の浜という意味から「前浜」と呼ばれていたようです。
参道入り口と一の鳥居。寛文八年戊申八月十五日の刻銘あり。
国の重要文化財に指定されている「石造明神鳥居」です。
寛文8年(1668)、若宮大路の三つの鳥居は、徳川四代将軍家綱によって寄進されますが、大正12年(1923)に発生した大正関東地震(関東大震災)によって、三つ鳥居の全てが倒潰、唯一復元された鳥居です。
二の鳥居と狛犬。昭和36年、小野田セメント奉納。神奈川県下最大の狛犬との事。
三の鳥居
参道
手水舎
舞殿準備中(3月18日)
結婚式(2月26日)
大石段と本宮
源実朝を暗殺した公暁が隠れたと言われる伝説の大銀杏は、石段左に生えていたのですが、平成22年(2010年)3月10日4時40分頃に、強風のために大銀杏は根元から倒れ、現在はありません。狛犬の後、注連縄で囲まれた所であろうと思われます。
2006年11月6日参拝されたMikuさんより戴いた狛犬の写真にはしっかりと写っております。
台座に建立年代は明記されていないようですが、「鶴岡八幡宮略年表」によると寛文8年(1668)9月に石造駒犬一対が寄進されていますので、liondogさん、円丈さんはこの狛犬をそれと考えておられるようです。 参道狛犬としてはとても古く江戸時代初期に奉納されたようですが、羨ましいくらい目が大きく、素朴でおじさん顔をした団扇の尾立ち狛犬です。雌雄の別があり、階段の上では普通の置き方をされていましたが、ここでは縦置きになっています。鬣は、阿は縦ロール・吽はストレートで、口蓋が鼻の下で分かれているのがまだ動物的です。拡大写真はこちら。 |
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(寛文8年(1668)9月建立) |
随身門も随身さん | |
以降上宮回廊内は撮影禁止となっているようです。
摂社・若宮
大銀杏
平成二十二年三月十日未明、強風に煽られ、根元から倒伏。
再生・再起を願い、大石段側の元の場所に残された根を保全、倒伏した大銀杏の本体(親木)は西側(左)へ移植しました。元の場所に残された根からの蘖(ひこばえ、若い木)が勢い良く伸び出し、移植した幹からも萌芽し葉を付けるまでになりました。大銀杏の後継樹としての若木の選定、また親木の再生根の確認が出来るまでには数年の観察が必要とされています。皆様の祈りが「頑張る大銀杏」のエネルギーになります。何卒見守り続けて下さるようお願い申し上げます。
鶴亀石
西側入口
参道の梅
東側入口
御朱印帳と御朱印 | ||
歌川広重 に描かれた『由比ヶ濱』