三嶋神社

鎌倉市笛田3-31-1 (平成24年5月8日)

東経139度31分23.05秒、北緯35度19分11.37秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
湘南モノレール「湘南深沢」駅より南へ徒歩15分程の所に鎮座しています。狛犬の台座には虎と龍が彫られていました。当時の人は虎は見たことないのでこの姿なのでしょう。神社の近くに佛行寺(拝観料100円、つつじが綺麗)があります。古くから、佛行寺の住職が三嶋神社の別当を兼ねていたので、現在も正月3日間朝の勤行を行っています。頼朝の死後、鎌倉を追われた梶原一族は、駿河で討たれ滅亡したといわれるが、その証として梶原景時の子、景季の片腕が運ばれ、この地に埋葬されたとのこと(源太塚)。梶原景時については御霊神社(梶原)へ。

御祭神 大山津見命(オオヤマツミノミコト)

御由緒
治承(1177〜1181)大庭影親、この地を領して再建したと伝えられる。元は、村の北端(字宮ノ崎)にあったが、「水上に祀れ」との神託により、笛田川上流である現在の所に遷したと言われている。同社の傍には滾々とわく泉があり、この水流にて、全村の水田を潤す処から村民の信仰は非常に篤い。
神奈川県神社庁>三嶋神社 より

関東・伊豆には、源頼朝が伊豆 ・三嶋大社を崇敬していた関係から、鎌倉武士により三嶋大社より勧請されたと伝える三嶋神社が多い。がしかし、大庭影親は平治の乱(1160)後に平家の忠実な家人になり、治承4年(1180)に義朝の遺児 ・源頼朝が挙兵すると平家方の武士を率いて石橋山の戦いで頼朝を撃破した。しかし頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑された。

参道入り口に立つ一の鳥居

二の鳥居

参道途中、高い所から参拝者を睥睨する狛犬。左手は祭の時、祭囃子の舞台になります。

親子揃って睨みを利かしております。拡大写真はこちら。
(石工岩崎金太郎 昭和6年(1931)11月建立)

参道脇の景色

拝殿

拝殿内部

奥殿


東経139度31分22.6秒、北緯35度19分17.49秒に鎮座。

佛行寺 寺号標

境内のつつじ

梶原源太景季の片腕が埋められているという「源太塚」