鎌倉市梶原1-12-27 (平成24年4月6日)
東経139度31分28.14秒、北緯35度19分41.19秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
まずは梶原景時の墓参り、深沢小の警備の方に案内され行きました。私みたいな者の為、警備の人が必要なのか。親切な人で感謝しています。墓から深沢小をほぼ一回りした所に御霊神社が鎮座しています。狛犬、「吽」を見て「唐獅子牡丹」までは頭に浮かびましたが、「高倉健」は浮かびませんでした。庚申塔はあまり詳しく無いのですが(神社も)、境内の庚申塔は猿が縦に2匹、両脇に鶏が1対は珍しいのでは。
御祭神 鎌倉権五郎景政・梶原景時
御由緒
建久元年(1190)梶原平三景時、景政公の霊を祀り御霊社とした後、景時を合祀した。「相模風土記」には権五郎景政公天ぷの像と伝える木像二体と景時の木造を置き、等覚寺持とある。
神奈川県神社庁>御霊神社 より
後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景政をまつる神社です。坂ノ下にある御霊神社は、もとはこの梶原の御霊神社を移したものだと言われています。
かまくら子ども風土記 より
由緒
御祭神景政は後冷泉天皇の御宇永承壬辰年(1045年頃)命を奉じて、源頼義と奥州に下向し安部貞任・宗任と合戦大勝して帰る。天喜元年(1052)時の人始めて鎌倉権五郎景政に御霊大権現の神号を奉り村岡邑に奉斎せり。
後年鎌倉権太夫景通梶原の邑に居を定め屋号を梶原と改む、建久元年(1190)九月梶原平蔵景時一宇を建て、景政の霊を祀り御霊社と尊称す。
参道入り口(左は深沢小学校)。
一の鳥居
二の鳥居&石燈籠
燈籠の台座に遊ぶ狛犬 | |
東京市芝區本芝(現東京都港区芝)
境内
牡丹を銜えた江戸流れ。拡大写真はこちら。 | |
(明治?建立) |
拝殿
境内
五輪塔
青面金剛刻像塔 | やぐら |
本殿への石段
青面金剛童子碑
本殿
展望
梶原景時(かじわら かげとき)
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の御家人。石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから重用され侍所所司、厩別当となる。教養があり、和歌を好み、武家百人一首にも選出されている。頼朝の信任厚く、都の貴族からは「一ノ郎党」「鎌倉ノ本体ノ武士」と称されていた。一方で、源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった「大悪人」と古くから評せられている。鎌倉幕府では権勢を振るったが頼朝の死後に追放され、一族とともに滅ぼされた(梶原景時の変)。
ウィキペディア より