八幡神社

平塚市山下401 (平成22年5月2日)

東経139度18分56.9秒、北緯35度19分36.4秒に鎮座。

この神社は、平塚市でも西より、JR大磯駅の北2km程の辺りに鎮座しております。

八幡宮由緒
応神天皇(誉田別命)を祭神とする上山下八幡宮は、弘安年間(1276〜87)に高麗神社より勧請されたと伝えられ、爾来七百有余年、この地に鎮座している村社である。はじめ武神として崇められた八幡神も、やがて村の鎮守として農業神的な性格と村人の除災招福を願う神として、その神威は高まっていた。
応永二年(1390)には、住吉社を摂社として祭り、村の鎮護とともに、八幡神も家内安全から厄除、海運(開運?)、また安産の神としてますます村人の篤い信仰を集めるようになった。
天正十九年(1591)の社領一石の御朱印に続き、江戸期慶安二年(1648)にも一石八斗の加増があり由緒ある社として境内も整い、鋳造された鐘は、世の平和と村人の幸せを願い、その音色を近隣に響かせていた。
しかし、その鐘も昭和十六年、第二次大戦により国に供出し、その音が途絶えていたが、平成五年、地域繁栄を祈念し、大鳥居、鐘楼及び梵鐘が完成し、今日に至っている
境内由緒書より。原文はこちら。

由緒書きに登場する高麗神社とは、大磯の高来神社でしょうか、又は、埼玉県日高市の高麗神社のことでしょうか。何れにせよ八幡神社の御祭神「誉田別命」とは関係が無いように思えます。気になるのが、勧請したのが弘安年間。元寇(弘安の役)があった時代。・・・・・・

神社入口

境内

社殿

木鼻の狛犬

不明の境内社

石仏

山車庫

鐘楼