御霊神社

平塚市横内900 (平成22年5月2日)

東経139度21分14.6秒、北緯35度22分25.4秒に鎮座。

この神社は、小田原厚木道路の伊勢原ICの南東2km程の辺り、44号線と新幹線が交差する高架近くに鎮座しております。

祭神 崇道天皇・国常立尊

神奈川県神社庁公式サイトにも、御祭神と例祭日以外の記述が無く詳細は不明です。

早良親王(さわらしんのう、天平勝宝2年(750年)? - 延暦4年9月28日(785年11 月8日))は、奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。生母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。
母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、天平宝字5年(761年)に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み、親王禅師と呼ばれていた。天応元年(781年)、兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し、立太子された。だが延暦4年(785年)、造長岡宮使 藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近(現・大阪府守口市の高瀬神社付近)で憤死した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

その後都で、早良親王の祟りと思われる事(安殿親王(後の平城天皇)の発病や桓武天皇妃藤原乙牟漏の病死等)が相次ぎ、恐れた桓武天皇が「崇道天皇」と諡したと云う。
京都には左京区の崇道神社等崇道天皇を祀った神社は幾つかあるが、遙か東国にもあったとは、寡聞にして始めて知りました。如何なる経緯があってこの地に祀られたのでしょうか。

参道入口と社号標

参道入り口の岡崎型狛犬

(昭和16年(1941)2月建立)

参道

境内

拝殿

向拝下の彫刻

脇障子

神額

本殿


神明宮

八坂神社

石祠と水神碑

神楽殿

鐘楼