和気神社

霧島市牧園町宿窪田3986(平成22年1月8日)

東経130度45分49.36秒、北緯31度49分9.87秒に鎮座。

 この神社は安楽温泉の東、犬飼の滝西に鎮座しています。参道には大楠が聳え、「忠烈和気公之遺跡」碑や「和気清麻呂公と猪」が描かれた日本一大きな絵馬があります。緑豊かな社頭には朱の根巻鳥居が立ち、境内にはいると左には白猪のあいちゃん・和気ちゃんが住む猪舎が建っています。社殿の建つ境内入口には狛猪が置かれ、正面奥に入母屋造りの落ち着いた拝殿や、大きな流造りの本殿が建立されています。
 歴史好きの私達にとってあの「道鏡の宇佐八幡神託事件」で、称徳天皇の怒りに触れ、左遷された後、さらに「別部穢麻呂(わけべのけがれまろ)」と改名させられて大隅国へ配流された和気清麻呂が、この地でどの様な生活を送っていたか…と改めて感慨に更ける時間でした。

 御祭神:和気清麻呂公命
 祭礼日:5月6日・例大祭、11月第三日曜日・亥の子祭、毎月6日・月例祭
 由緒:奈良時代の末、神護景雲3年(769)宇佐八幡神託事件(弓削道鏡による皇位窺覦の事件)に際し和気清麻呂公は、勅使として、宇佐八幡宮の御神前に祈り戴いた真の御神託を復奏し道鏡の野望をくじかれたが、道鏡の怒りを買い大隅の国に流される。
 嘉永6年(1853)薩摩藩主島津斉彬公は日隅二州巡視の折霧島山下、犬飼滝付近に籠を駐め、手づから一樹の松を手植え、その後八田知紀に命じて和気公の遺跡を精査せしめる。この結果現地中津川犬飼滝付近と確定された。
 昭和14年和気清麻呂公精忠顕彰会が発足し、県社和気神社創建の請願を重ね、昭和16年5月6日創立許可下る。爾来この日を例祭日とする所以である。
 昭和18年起工。21年3月鎮座された。

清麻呂公がこの地に流された時、姉の広虫(法均尼)も備後国に流され、かの地で、清麻呂の雪寃を祈願したと伝えられる「御調八幡宮」が広島県三原市にあります。

「和気清麻呂公略伝」「和気公と河伯祭」「和気公と斉彬公」案内拡大写真はこちらで

参道入口
「忠烈和気公之遺跡」碑 日本一大きな絵馬「和気清麻呂公と猪」
社頭
根巻鳥居
参道の様子
白猪(あいちゃん・和気ちゃん)舎
「和気公と猪」案内拡大写真はこちらで
白猪のあいちゃん・和気ちゃん
境内入口
境内入口にいる平成5年生まれの狛猪
(平成5年(1993)8月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子と本殿正面
本殿
絵馬
和気清麻呂公と猪・坂本龍馬とお龍
「坂本龍馬とお龍の日本最初の新婚旅行の地」案内