御調八幡宮

三原市八幡町宮内 (平成23年7月30日)

東経133度5分1.14秒、北緯34度28分4.7秒に鎮座。

この神社は、JR三原駅の北7km程の辺り、やはた川自然公園の中に鎮座しております。参道に架かる清明橋は赤い屋根付きで、遠目にも美しく、椎の天然林と共に自然公園の景色を満喫できる素晴らしい神社となっております。

御祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥命・比咩大神

御調八幡宮由緒
東宮は神護景雲三年(769)、和気清麻呂直諫の罪により大隅に配流され姉の法均尼(和気広虫姫)は当地に流され、所持の円鏡に宇佐八幡大神を勧請して遥かに弟清麻呂の雪寃を祈願したことを創祀とします。
宝亀八年(777)参議藤原百川がこの地に使いを派遣して社殿を造営、封戸を割いて社領にあてたとあり、これを社殿の創建としております。
貞観元年(859)岩清水八幡宮創建以来、八幡宮総本宮として全国八幡宮を支配、当宮は中世から「備後国御調別宮」となってより「八幡の庄」と称したと記録されています。
元歴元年(1184)源頼朝の再建、文治年間(1185〜89)土肥実平の重修、観応年間(1350〜51)足利尊氏の社殿造営と伝えられ、現在の社殿はことごとく近世浅野家による再建です。・・・・
原文はこちら。

備後国総鎮護御調八幡宮は、神護景雲3(769)年、臣下の身で帝位を望んだ道鏡の野心を、宇佐八幡宮の神託を得て退けた和気清麻呂公が直諌の罪により大隅国へ流されたとき、姉法均尼(和気広虫姫)は備後国に配流されこの地に流謫(るたく)の身を留め、斉戒沐浴、円鏡を御神体として、宇佐八幡大神を勧請して清麻呂の雪寃を祈願したことを創祀とするといわれています。
 宝亀8(877)年、参議藤原百川が社殿を造営し封戸を割いて社領に当てたといわれ、また、保元3(1158)、年の官宣旨により石清水八幡宮の別宮となり、八幡庄の鎮守神として、また備後総鎮護の神社として崇信され、往時は随分栄えた神社であります。
 天正年間には、豊臣秀吉が三原城に滞在中参拝し、境内に桜樹を手植えしたと伝えられ、国の重要文化財、木造狛犬及び古版木、阿弥陀経等多く保存されています。
三原観光協会公式サイト より

大隅国へ流されたと伝えられる地に建つ、鹿児島県霧島市・和気神社はこちら。

参道

鳥居と社号標。左手は社務所。

清明橋

境内を流れるやはた川

石段

神門

続く石段

参道途中の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(大正13年(1924)4月日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿

本殿縁にお住いの陶器製狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

若宮神社

彰徳神社

地主神社

住吉神社 稲荷神社
春日神社 高良神社

神庫

御神水

神楽殿