南方神社

鹿児島市清水町12(平成22年1月6日)

東経130度34分18.2秒、北緯31度36分22.08秒に鎮座。

 この神社は10号線沿いに鎮座しています。入口は広い石段があり、神明鳥居は一基だけですが、石段は中央に区切りがあったので、南九州市川辺町・南方神社の様に、上宮と下宮の二つがセットの正しい祀り方がされた神社なのかと思いながら石段を上がり境内にはいると、参道の奥は芝生だけで社殿は見当たりません。奥に立て札があったので近づくと「社殿建設予定地」と書かれており、境内右端に御仮殿らしき二社殿が建立されています。天皇陛下ご即位二十年記念事業として社殿の造営と境内整備の最中だったのです。旧郷社で鹿児島五社の筆頭だった由緒有る神社です、社殿の完成が楽しみですね。

 御祭神:建御名方命、事代主命
 祭礼日:8月28日:大祭
 由緒:島津氏が本拠を鹿児島に移したのは南北朝時代のことです。島津家第五代貞久は、東福寺城を攻め、鹿児島郡司矢上一族を追い、鹿児島に入りました。島津氏の城下町はこの城を中心に南へ南へと広がっていったのです。また、この時、出水山門院から移され、この地に建立されたのが南方神社です。南方神社は諏訪神社ともいい、建御名方命と事代主命を祀り、上町五社の第一社として歴代藩主の信仰が特に篤く、諏訪市(8月28日)と呼ばれた市は、西田市と並んで最近まで盛んでした。

 南方神社(みなかたじんじゃ)または諏訪神社は鹿児島市清水町にある鹿児島五社の筆頭。諏訪大社の分社で薩摩藩主の崇敬が厚かったが、現在は鳥居だけで本殿がない状態になっている。

ちなみに鹿児島県には諏訪大社系の神社が多いが、ほとんどが「南方神社」と名乗っているのは他地方に見られない特徴である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
入口の神明鳥居 社号標
境内の様子
社殿建設予定地
 

御仮殿?
末社 御神木