八坂神社

高松市屋島西町 (平成21年3月28日)

東経134度5分57.81秒、北緯34度20分35.79秒に鎮座。

この神社は、屋島半島の西側付け根の辺り、屋島小学校の西200m程の住宅地の中に鎮座しております。広い社地を持つ明るく開けた神社ですが、境内も社殿も新しく、極最近全面的に改築したと思われます。

屋島西町が昔西潟元村と言われていた頃は、讃岐国山田郡喜多郷に属していた村人は、木太村の郷社八坂神社の氏子であった。
この八坂神社については、「全讃史」によると次のような伝説がある。
承平六年(937)八月、海から甕を乗せた浮き筏が流れ漂って入江の里(木太の古宮)にやってきた。村人はあやしんでお上に報告したが、その夜、村人の夢に鬼のような頭に角が生えたものが現れて、「あなた達が私を祀ることができるなら、あらゆる病気は治り、その上長生きもできるであろう」と言った。翌日村人が集まってその夢を話合ったが、皆同じようなことを言った。そこで相談して祠を建て、浮き筏が着いた日を祭日とした。それが現れた地を影向塚と言い今もなお田の中に残っている。この時村人が建てたのか、牛頭天王祠でこれを後の人は八坂神社と呼ぶようになった。
又、牛頭天王は祇園精舎の守り神で、日本に来て速須佐男命に生まれ代わったとも言われている。
西潟元村の氏子が、氏神である木太村の八坂神社に行くには、春日川・新川という二つの大川があって、出水のためしばしば参詣できないことがあった。村人は相談して、其の御分霊を西潟元村浜畠のこの地に奉じ、当社を創建したのが屋島の八坂神社の起源である。
なお、当社は木太村より勧請以来明治維新までは、「天王はん」と呼ばれ村人に崇められていたが、明治二年3月社号が八坂神社と改められ、明治四十年十月二十四日神饌幣帛供進神社に指定されている。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社入り口と社号標

神社入り口の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治18年(1885)8月吉日建立 石工・和泉増造)

境内

小ぶりですが大きな目と大きな口、笑える狛犬です。拡大写真はこちら。

(天保8年(1837)12月建立)

神門

拝殿

本殿

八坂神社末社十社。萬小社・塩釜神社・若宮神社・荒神社・斧神社・幸神社・熊野神社・金刀比羅神社・山下神社・天満神社。詳細はこちら。

不明の末社

忠魂碑

地神社(社日)