配志和(はいしわ)神社

一関市山目舘56 (平成22年8月21日)

東経141度7分49.9秒、北緯38度56分16.97秒に鎮座。

 この神社は山ノ目駅の西南西約1.2km、菅原道真の子・敦茂が、父の育てた蘭梅を植えた山・蘭梅山の中腹に鎮座しています。

 御祭神:高皇産霊尊、瓊瓊杵尊(皇孫尊)、木花開耶姫命
 祭礼日:5月1日、11月3日
 境内社:浅間神社、日吉神社、愛宕神社、天神社、八幡神社、産神社、神明宮、白鳥神社、八雲神社、三宝大荒神社他多数
 由緒:延喜式神名帳にも記載されており、創立は古くから人皇十二代景行天皇の御代、皇子日本武尊詔を奉じて軍を率い、遠く道の奥の国に入り蝦夷の地に至る。進んで営をこの地、中津郷の耶麻要峯に移し(神社境内)、その嶺頂に登り梟賊を平治せんことを祈り、自ら矛を収め三神を鎮齋し、東奥鎮護の神として祠を建て火石輪と称した。
 今の配志和神社である。
(「岩手県の神社」より)
 式内社 陸奥國磐井郡・配志和神社の比定社で、旧県社です。

参道入口から境内入り口まで

 この神社の一の鳥居は県道一関平泉線(旧国道4号)に立っているそうですが、私たちはそうとは知らず200m程先の宮下町バス停近くの、参道が階段状になる辺りからの参拝をしてしまい、写真はそこからです。
 「延喜式内配志和神社」の社号標が立ち、「伝承 白髭洪水の跡」の案内を横に見ながら緩い石段状の参道を行くと、二の鳥居が立ち、一般道を横切った辺りに金剛山、庚申塔、雷神などの石碑が立っています。
 神社の入口には「延喜式内配志和神社参道」案内が立ち、左手には日本百庭園に数えられる、上段に岡池、下段に築山泉水式の主庭を配する2段式庭園が築庭されています。
 神社入口近くの参道右側には市文化財指定・千年杉に抱かれるように境内社:白鳥神社の石宮があり、その後も八雲神社、三宝大荒神社等の境内社が次々と現れます。
 月見坂と言う風流な名が付けられている石段参道を上がっていくと、大きなモミの木が豊かな自然林の中に黒い影を落とし、静かで雄大な景観を形作っています。産湯ヶ池に掛かる神橋を渡ると、沢山の末社と石碑群があり、いよいよ剱坂と名付けられた境内への最後の石段参道が続きます。神社入り口から境内までの石段数・435段、いつもの私ならば途中で息も絶え絶えになっている段数ですが、今回は参道沿いの幾つかの境内社、狛犬、石碑を眺めながら、そして何よりも静かで雄大な自然に抱かれ、ゆっくりと森林浴を楽しみながらの参拝で、余り疲れを感じずに境内に行き着くことができました。

参道入口
社号標
「延喜式内配志和神社」
伝承 白髭洪水の跡
参道入口の石橋
庚申塔 馬櫪神
参道途中に立つ二の鳥居
参道の様子と金剛山、庚申塔、雷神などの石碑
参道の様子
「延喜式内配志和神社参道」案内と社頭
参道左側に造られている日本百庭園に数えられる庭園。上段に岡池、下段に築山泉水式の主庭を配する2段式庭園で晋朴が作庭したとされています。
参道入口の境内社:白鳥神社石宮と市文化財指定・千年杉
境内社:八雲神社
青葉町の御天王山に鎮座していた八雲神社を移築しました。
江戸期の「宝暦風土記」には、川原田の牛頭天王社として
年暦・由緒不明の古社として記載されています。
境内社:三宝大荒神社
「鍛冶町」「川原田」に鎮座していた三宝大荒神社。
昭和23年の水害で倒壊したので、有志が協議の上、現在地に移築しました。
三宝大荒神社を護る建立年代不明の狛犬
顔だけを見ていると利口そうな犬っぽい感じがしますが、背中の丸みや大きなお尻はハムスターを連想させる、とても可愛い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
月見坂と言う風流な名が付けられている石段参道
月見坂右側のモミ林
産湯ヶ池と参道に掛かる神橋
産湯ヶ池上部の石段参道
産湯ヶ池上部の石段右側に祀られている沢山の末社と石碑
末社群中央に屋根付きで祀られる末社 石仏
剱坂と名付けられた境内への最後の石段参道
境内入り口

境内・社殿へはこちらから