住吉神社

輪島市鳳至町鳳至丁1 (平成21年5月5日)

東経136度54分01.75秒、北緯37度23分41.72秒に鎮座。

この神社は、輪島市の西側、有名な朝市通りから、いろは橋を西へ渡って行くと住吉神社前へと行き着きます。境内は朝市でなく夕市が開かれます。

御祭神:底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后

由緒
武門武将の崇敬又深く、社殿の造替、金品の寄進屡々なり、又前田利家天正10年能登巡国の際、本社に参拝し社殿修復料50俵の地を寄せ、神主浅井則信に田地を与えたるを始めて前田家累代篤く本社を崇敬された。又、本社は古来大宮と俗称せられ、今に例祭を大宮祭と称し、其の祭礼市を大宮市と唱へ、鳳至町1000戸の産土神と仰がれるばかりでなく、一国の大宮として衆庶の尊崇を集めてきたのである。始め当社は大屋庄(大屋村一帯)御霊地山に鎮座され、神宮寺を鳳至院と称し壮大を極め神部十二員の民邸等の旧跡今に残し、釈迦堂、仁王堂等の地名往昔の盛況を証するが、近古水難、兵乱の為に現在地に移し奉れるものであります。現社殿は文化10年所口(七尾)の住人芝田新助矩一により建造されたもので、特に本殿はその構造の堅実なる手法向拝にほどこされた虹染、木鼻の彫刻、胴貫の花鳥、透彫にいたっては絢爛をほこる徳川時代の建造物としての面影を遺憾なく発揮し、社寺建築木割法に則って築造せられた神社建築の当地方での代表的建造物であります。現在、市重要文化財に指定されています。
石川県神社庁公式サイトより。

由緒
 本社は延喜式内鳳至比古神社と伝えられ、人皇十六代仁徳天皇十二年住吉大神を能登に初めて奉斎し海上鎮護万民守護の大神として尊崇せられ一國の大宮として武門武将の崇敬深く社殿の造営金品の寄進しばしばなり。また古来大宮と俗稱せられ今に例祭を大宮祭と稱しその祭礼市を大宮市と唱え鳳至町二千有余の産土神と仰がれるばかりでなく、この地方の大宮として衆庶の尊崇を集めてきたのである。
 始め当社は大屋庄御霊地山に鎮座され神宮寺を鳳至院と稱し壮大を極め神部十二員の居邸等の旧跡今に残し釈迦堂仁王堂の地名往昔の盛況を証するが、近古水難兵乱のために現在地に移し奉ったものである。
 現社殿は寛文十年建造されたもので、特に本殿は絢爛をほこる徳川期の建造物としての面影を遺憾なく発揮し神社建築の当地方での代表的建物である。
 現在、共に、輪島市重要文化財に指定されている。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社庁と境内由緒書は殆ど同じことが書いてありますが、石川県神社庁公式サイトには「式内鳳至比古神社」の記述がありません。鳳至比古神社の論社は多く、江戸時代から盛んに争論があったようですが、神社庁側では決めかねると言うことなのでしょうか。同じ輪島市の重蔵神社も論社の一つと言われています。

この他にも延喜式内社鳳至比古神社を称する所謂論社は全部で四社あります。一覧はこちら。

神社入り口

入り口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(安政2年(1855)建立)

境内

拝殿

拝殿前ブロンズの狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和56年(1981)建立)

木鼻

本殿

市姫社