六所神社

つくば市臼井(平成20年7月13日)

東経140度6分50.29秒、北緯36度11分50.68秒に鎮座。

社号標。地図には六所神社となっており、この社号標の意味が判りませんでした。跡地とか旧跡と書かれています。

神社入り口

六所皇大神宮と石柱の由来
當霊地は筑波地方の総社として神武天皇四年(紀元前657)創建されたと言われる旧六所神社の旧跡地である。
当社は人皇九代開化天皇三十八年正月筑波の神主に勅して夏冬の祭事を定めしむとあって夏至と冬至には当社と筑波山上の宮との間に神霊遷座式即ち御座替祭が行われた、現在筑波山神社の御座替祭は之である。
この時神の御更衣をも行うのでこの祭を神御衣祭とも言い當宮を筑波山里の宮とも男女神御座替宮とも称された。
又往古に伊勢大廟の御末社となり御所大神宮、或は六所皇大神宮と称され伊勢大廟の代拝所として遠近の人々の崇敬厚い宮であった。
それ故に桓武天皇二十年征夷大将軍坂上田村麿奥州征伐の帰途当宮に詣うで、神鏡宝剣馬具等を奉納凱旋の報告をなし石鳥居を建立せられた。
明治三年の暴風雨で社頭の老杉が倒れた時鳥居は破壊されその中より「石鳥居征夷大将軍坂上田村麿建立之」と彫ってある直径三寸五分厚さ二分の丸形銅鏡が現れた。
この石柱はその鳥居の折れ石で笠石は正面神名碑の台石になっている。尚銅鏡は現在筑波山神社の宝庫に保存されている。

要するに、嘗て筑波山里宮だったと書いてあります。由緒書全文はこちら。

世の変遷と共に、筑波神社と分離し加え氏子の大半は筑波神社に編入せられ、神社の維持困難に陥り、神霊は日本一社の称ある蚕影山神社に合祀し、輪換の美を極めたる社殿を始め、寶庫随神門及其他を破壊し遂に此畏き霊跡は荒廃に帰したり。・・・・

なにやら悔しさが滲み出ているような文章です。

旧跡とあるように社殿は無く、石碑のみ虚しく建っています。氏子の大半が筑波神社に編入されただけでなく、祭礼も筑波神社で執り行われているようです。

天照大神腰掛の石

境内の祠

この後、合祀先の蚕影山神社へ行きました。しかしそちらも人々から忘れ去られたような静かな佇まいです。