蚕影山神社

つくば市神郡(平成20年7月13日)

東経140度6分35.06秒、北緯36度11分18.31秒に鎮座。

 この神社は筑波国際CCの北、標高200mの蚕影山山中に鎮座しています。実はこの社に詣でたのは、臼井地区の「六所皇大神宮霊跡」の縁起に、蚕影神社に合祀された…と書かれており、この由緒ある神社がどのような社に合祀されたのか興味が湧き、急遽その場で地図で探してやって来たのでした。
 お茶屋さんのある入口には湧水が湧き、入口からすぐに長い石段の参道が続きます。鬱蒼とした杜の中、石碑などが点在する参道途中の二基の鳥居を潜り、尚も進み平地に出ると三の鳥居の右脇に今は手入れをする人もなく廃屋となった茶屋が建ち、そこから最後の石段を上がります。境内正面には神寂びた拝殿が見え、その右側には額堂(絵馬堂)。中にも外にも各地の養蚕関係者から寄せられた「蚕影山神社」「蠶影山神社」「蚕影大神」「蠶影神社」などと書かれた沢山の絵馬や額が掛けられていました。その額堂の後ろ側 斜面に細い道が付けられ本殿横へと続いていました。

 御祭神:中殿・稚産霊命、左右殿・埴山姫命、木花開耶姫命
 由緒:創建は一番古い伝承では崇神天皇時代に祀られたと伝えられ、その他、成務朝時代筑波国造りが赴任されると同時に養蚕や農業の発展に力が注がれ、豊浦に稚産霊命が祀られ、同時期に蚕影山の麓に蚕影山桑林寺が建立された。又、延長4年(926)に創建という方もいらっしゃいます。何れにしろ千年以上の歴史を誇る古社で、往古から蚕の神様として北関東や甲信地方などの養蚕農家の信仰を集めたていことに変わりはなく、関東近県はもとより遠く長野県からも参拝者があったようです。けれど蚕影山桑林寺は明治の廃仏毀釈により廃寺となり、蚕影山神社のみ残されたようです。

 この社には日本における「蚕」「絹」の発祥にまつわる金色姫伝説があり、それによると
 「昔、雄略天皇の御代に、天竺に旧仲国という国がありました。帝はリンエ大王といい、金色姫という姫がいました。皇后が亡くなり、後添の皇后を迎えましたが、この皇后はとても意地の悪い人で、金色姫のことを憎みました。
 そこで、大王の留守に、金色姫を家来に命じて、獣の多い山へ捨てさせました。しかし、獣は姫を拝み、一匹のライオンの背に乗って、姫は御殿に帰ることができました。
 皇后は、ますます姫を憎んで、次は、鷹群山という、鷹や鷲のたくさんいる山へ捨てさせました。ちょうどその頃、帝が兵士に鷹を撃たせにやりました。兵士は山中に姫がいるのに驚き、姫を連れて御殿に戻りました。
 皇后は、今度は姫を海眼山という草木のない島へ流しましたが、今度も姫は、漂着した釣船に助けられました。
 腹を立てた皇后は、大王の留守に、城の庭に七尺の深さの穴を掘らせ、無残にも姫を生き埋めにしました。大王は帰って、「姫はどこへ行ったか」とたずねても、誰も知らないと言うので、たいそう嘆きました。ある日、庭から、光がさして城を照らしました。大王が不思議に思って、そこを掘らせると、地中に金色姫がいました。大王は喜びましたが、すっかりやつれた金色姫を哀れに思って、「これはきっと継母の仕業であろう。このまま、この国にいるよりは、いかなる国へでもながしてやろう」と言いました。
 そこで、桑の木のうつぼ舟をつくって、泣く泣く姫を舟に乗せ、海上はるかに舟を流しました。舟は荒波にゆられ、風に吹かれ、流れ流れて、茨城県筑波の豊浦に漂着しました。ここに、権太夫という漁師がいて、舟を引き上げると、なかに優しい姫が一人いました。姫は面やつれして、不憫であったので、権太夫は、家に連れ帰って、姫から一部始終を聞きました。権太夫夫婦はいっそう哀れに思って大事にしましたが、姫はふと病の床についたかと思うと、間もなく亡くなってしまいました。夫婦は嘆いて、清らかな唐びつを作って、姫のなきがらを納めて大切にしていました。
 するとある夜、夢の中で「私に食物をください、後で必ず恩返しをします」と姫がいいます。唐びつを開けてみると、姫のなきがらは水に溶けて、たくさんの小さな虫になっていました。夫婦は姫への食物として、丸木舟が桑の木であったことから、桑の葉をとって虫に与えると、虫は喜んでこれを食べ、成長しました。ある時、この虫たちが桑の葉を食べず、皆一様に頭をあげてワナワナとしています。権太夫夫婦が心配していると、姫が夢にあらわれて、「心配しないで下さい。私が天竺にいた時、継母にさまざまな山へ捨てられ、また庭に埋められた苦しみの耐え難さに、今休眠しているのです」といい、最後の「庭の休み」のあと、マユをつくりました。
 マユができると、筑波山の神様が現われて、マユから糸をとることを教えました。ここから、日本で養蚕が始まりました。
 権太夫は、ますますこの業を営んで栄え、豊浦の船つき河岸に新しく御殿をたて、姫の御魂を、左右に富士、筑波の神をまつって、蚕影山大権現と称号しました。これが蚕影山神社のはじめです。」(宮下自治会HPより

 嘗て日本における蚕神信仰の中心で、養蚕の盛んだった常陸国には「常陸国の三蚕神社」と呼ばれる以下の三社が有ります。
◎日本一社 蚕影神社(こかげじんじゃ) つくば市神郡豊浦
◎日本最初 蚕養神社(こがいじんじゃ) 日立市川尻町豊浦
◎日本養蚕事始の蚕霊神社(これいじんじゃ) 神栖市日川

神社遠景 入口の案内板
神社入口 石段の参道と一の鳥居
未だ続く石段の参道と二の鳥居 参道脇のご神木
参道は平地となり
三の鳥居が建っています。
境内への最後の石段
神寂びた拝殿
拝殿に架かる社額
「日本一社 蚕影山」
拝殿内の様子
拝殿裏斜面上に立つ本殿 下からと側面から
境内右に建つ額殿 額殿に架かる天狗の面
末社