子ノ神社

古河市長谷町(平成18年8月11日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 ネットに「古河市にある子ノの神社に、元禄時代の狛犬がある」と載っていました。なにしろ元禄ですから、見てみたくなりました。地図で位置を確認すると、歴史博物館の南東になっています。神社ですから木が繁っていて、遠くからでも分るだろうと思っていたのですが、間違いでした。なかなか見つかりません(方向音痴の持病あり)。あちこち回って、やっと会うことが出来ました。民家に囲まれた小さな神社です。狛犬は、大分傷んでいました。表情なども判りません。年号は、元禄16年と読めます。他にも何か書いてあるのですが、私には判読不可能でした。拝殿の側面には、鉄の草鞋が架けられています。けっこう新しいものもありましたから、御利益があるのだと思います。鳥居は嘉永元年、水盤は延宝2年の年号が読めました。

 実は以前にこの神社の300m位の近場を通っていたことがあるのですが、下調べをしていかないのでこんなに古い狛犬が居るなどとは思いもせずに、行きそびれた神社です。
 この神社そのものの創建などは分かりません。子ノ神社(ねのじんじゃ)は、関東から東海地方にかけて集中的に分布しており、江戸時代までは「子ノ権現」と呼ばれ、一般的には大国主命(大乙貴命)が御祭神です。
 大国主命とねずみ(子)との関わりは、大国主命が七福神の大黒天と習合し、福財の神として敬われるようになった事によります。大黒天の祀り日が甲子(きのえね)の日であるとか、穀物とねずみとの関係、命が素盞嗚尊に苦難を与えられたときに“ねずみ”が救ったなどの故事に基づき、五穀豊穣・方災除け・子の方角(北)の鬼門除け・子どもの夜泣きなどにも霊験があるとされています。又、この神は大変な健脚であり、非常に旅好きの神様だったそうで、鉄の草鞋をはいて旅をしたとも言い伝えられており、それにあやかり鉄の草鞋や手作りの草鞋を奉納し、旅の安全や足腰が何時までも丈夫なように折願するのだそうです。(東京堂出版「神社事典」参照)

嘉永元年(1848)建立の
明神鳥居と神社入口
鳥居の扁額「子ノ神社」
元禄16年(1703)生まれという茨城県最古に近い狛犬ですが、銘は良く見えるものの、
顔つきは判別出来ないほどに摩耗し、阿は前脚を失っています。
鬣の模様や銘文などはかなり綺麗に読み取れるので、撫で狛ででもあったのでしょうか?
同じ古河市の元禄生まれの狛犬達(雀神社頼政神社)はまだ充分現役のお役目を果たし、
元気なのに…。惜しいですね〜、ご尊顔を拝したかったですね〜。
(元禄16年(1703)5月18日建立)
拝殿 本殿
拝殿の側面の鉄の草鞋など 延宝2年(1674)奉納の水盤

狛犬の拡大写真はこちらで