名草神社

養父市八鹿町石原1755-6(平成20年8月30日)

東経134度39分29.95秒、北緯35度25分9.35秒に鎮座。

 この神社はJR八鹿駅から車で約50分、標高1,139mの高さを誇る妙見山の8合目に鎮座しています。今回の旅の最大の目的地はこの社でしたが、生憎の雨にたたられ 、傘を差しての参拝となりました。
 駐車場前に「但馬妙見 名草神社」と刻まれた大きい社号標が建ち、その左には「標高750m 名草神社 500m」の道程表があります。参道登り口には杖が置かれているので、私もありがたく使わせていただきました。砂利道の参道を登っていくと、すぐに参道脇右側にゴツゴツとした根元を剥き出した、樹齢数百年を経た妙見杉が聳えています。その後も尚も坂を上り詰めると、雨に煙った杉木立の中に出雲大社から譲り受けた三重塔が浮かび上がって来ました。
 この三重塔は標高800m、日本一高いところにある三重塔です。出雲大社の境内に出雲国主・尼子経久が願主となって大永7年(1527)に建立したもので、妙見社(名草神社)が出雲大社本殿の柱に妙見杉を提供した縁によって、出雲大社から譲り受けたものです。夫はこの三重塔の存在を知り、「是非にも拝見したい。」と、今回の旅が企画されたのですが、帰ってから感想を聞いたところ「いやぁ、素晴らしかった。」の一言。(何というボキャブラリーの乏しい事よ…。)
 三重塔の建つ広場から境内方面へ進むと、深い森の中に幅の広い石段が造られ、石段途中には大きな木製鳥居が建っています。深い森を上り詰め、境内入口に辿り着くと、そこは広々とした緑の絨毯(の様に見えますが、この日は大雨…。実際は境内中が浅い池のように全て水たまりになっていて、靴の中までぐしょ濡れの状態でした)。
 その奥に高い石垣にせり出すように造られた桁行五間、梁間二間の県指定文化財・割拝殿が建ち、割拝殿を通り抜けると、境内を隔てて県指定文化財の本殿が荘厳な姿を現します。本殿は宝暦4年(1754)造営。正面九間、側面五間、向拝付入母屋造で、屋根は檜皮葺。正面に千鳥破風と軒に唐破風が付いています。向拝の柱には変わった趣向の口を押さえた木鼻狛犬と耳を押さえた木鼻狛犬がいて、その上の軒下には力童子などの彫刻が多い、江戸期神仏習合の時代の神社建築様式が残っています。
 又、本殿左右の端に造られた小部屋には、眼には玉眼が填め込まれ、体表には彩色の跡が残る、鬣が豊かな、力強く逞しい木製神殿狛犬がいました。

 御祭神:名草彦大神を主祭神として、天御中主神・高皇霊産神・神皇霊産神・五十猛神・大屋津姫神・柧津姫神で、合計7柱の神様です。
      (参拝の栞より)
 祭礼日:お頭神事・1月13日、春祭・5月8日、例祭・7月18日、秋祭・10月13日
 由緒:社伝等によれば、敏達天皇14年(585)、紀伊国名草郡出身の養父郡司・高野直夫幡彦が当時流行した悪疫に苦しむ民を憐れんで、故郷の祖神を石原山(妙見山)に祀ったのを創祀としています。 式内小社に列し、神仏混淆時代には社名を「妙見社」と改め真言特有の加持祈祷を以て信仰を得て天下の名社となりました。室町時代の守護大名・山名宗全は社領を増やし、又、江戸時代の三代将軍・家光公は朱印領30石の寄進をしています。明治維新後社名を「名草神社」と復称し、大正11年縣社に昇格しました。(「神社名鑑」より)


入口から割拝殿へ

社号標「但馬妙見 名草神社」 境内への道程表
参道入口
参道脇に聳える大杉
ゴツゴツとした根元を剥き出した、樹齢数百年を経た妙見杉。昔はこんな大木が全山に聳えていたのでしょうか?出雲大社本殿の用材としてこの地の妙見杉を提供したのも肯けますね。
参道の様子
坂を上がりきったところに、其の出雲大社から譲り受けた三重塔が見えてきました。
展示されている妙見の大スギ・根株
妙見の大スギ・樹幹

国指定建造物・三重塔
標高800m、日本一高いところにある三重塔です。この塔は出雲大社の境内に出雲国主・尼子経久が願主となって大永7年(1527)に建立したものです。妙見社が出雲大社本殿の柱に妙見杉を提供した縁によって、出雲大社から三重塔を譲り受けました。寛文5年(1665)1月に解体が始められて、船で日本海を渡り、名草神社の境内には5月に上がりました。雪に備えた突貫工事によって9月に竣工しました。
 明治37年に国宝に指定されましたが、昭和25年の現在の文化財保護法によって国指定重要文化財となりました。また、昭和62年には解体修理工事が完成し、丹塗りの鮮やかな姿を見せています。
 屋根は薄い杉板を何枚も重ね合わせた柿葺の屋根です。高さは24.1mもあり、三層目の軒下には四隅に四匹の猿の彫刻が置かれています。「見ざる、聞かざる、言わざる」という三猿は有名ですが、あと一匹は「思わざる」だと言われています。
三重塔初層では力士の彫刻が軒を支えています。
三層目の軒下の四猿は雨で視界が最悪、撮せませんでした。
三重塔より境内方面を臨む 境内へ上がる幅広の石段参道
参道途中に建つ大きな木製鳥居 境内入口
境内左に建つ趣ある社務所
社務所向拝彫刻・龍虎の戦い
割拝殿前の境内の様子
まるで緑の絨毯を敷き詰めたように見えます。

割拝殿から本殿へ