釜加神社

千歳市釜加南二十一号(平成23年10月10日)

東経141度38分15.10秒、北緯42度53分34.20秒に鎮座。

 この神社は恵庭市との境界近くの釜加地区に鎮座しています。社地左右に大樹が育ち、中央に鳥居、社号標が建立され、境内中央奥に狛犬が護る拝殿・本殿が建立されています。

 御祭神:辨財天
 祭礼日:不明
 由緒:新保清次郎は、釜加の自宅敷地内に御堂を造り、漁の時期に弁天を千歳神社から移していた。その後島松沢奥の新保沢(俗称)に牧場経営のために移転するまで厨子と共に守ったものであるという。転出する際、弁天は漁業の守り神であり、山には不必要であるとのことから、釜加の人々が譲り受けて祀り、明治38年に釜加神社を建てるときに厨子とご神体の弁天をこれに納めたとされ、現在の拝殿は新保の弁天堂をそのまま移したものと伝えられている(千歳文化財保護協会 昭和61年7月 「釜加神社付近に史跡公園設置に関する要望書」)。本殿は昭和21年に千歳海軍航空隊神社の手水舎屋根を移したものである
 釜加神社「釜加神社弁財天御厨子」の裏面の銘文には「シコツ」から「千歳」への地名変更の由来が記されている。この厨子は高さ36a、幅33a、奥行16・5a、表面全体が胡粉下地で固められて、黒漆を塗り、裏面は胡粉下地に銘文が彫られて沈金が施してある。この銘文によると、「シコツ」とはもともとアイヌ語で「大きなくぼみ、凹み」の意があるが、「死骨」に通じる響きが良くなかったため、文化2(1805)年、この勇払場所を担当していた支配人山田鯉兵衛嘉充より箱館奉行羽太正養に名称を改めたいとの要請があった。たまたま鶴が多く生息していたところから「鶴は千年」の古事より「千歳」と改められたという。もともとはシコツ川という川の名前の千歳川への変更であった。昭和46年9月16日、千歳市はこの厨子を最初の千歳市指定文化財に指定した(千歳市文化財保護条例の制定により、昭和52年4月23日に再指定)。
(サイト「千歳神社とその歴史」より抜粋)

社頭
入口に立つ靖国鳥居 社号標
参道の様子
境内の様子
拝殿前、昭和28年生まれの狛犬
阿吽の位置が反対で、鬣や尾の毛筋の彫りがはっきりと深く、獅子紋も見える狛犬です。恵庭市中央・恵庭神社の狛犬は兄弟でしょうか、よく似ています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和28年(1953)4月14日建立)
拝殿
神明造りの本殿