素盞嗚神社

福山市新市町戸手(平成20年3月22日)

東経133度16分59.85秒、北緯34度32分56.63秒に鎮座。

 この神社は福塩線・上戸手駅の北西約150mに鎮座しています。福塩線の線路と狭い道路に挟まれた、東西に長い境内で、入口の社号標は「式内社」「縣社」の二基が建てられています。表参道の鳥居からは隋神門・舞殿・拝殿・幣殿・本殿と並んで建立され、境内では沢山の地域の方々が、ゲートボールを楽しんで居られました。又、手水舎には珍しい明治35年6月奉納の4体の邪鬼が支えた鉄製水鉢が置かれていますが、4体の邪鬼の姿がそれぞれ工夫され、とても面白いものに仕上がっています。社殿左には、境内社の蘇民神社と疱瘡神社が祀られ、右には、天満宮があリますが、天満宮は、明治までは本地堂と呼ばれ、聖観音を祀っていたそうです。

 御祭神:素盞嗚尊、稲田姫命、八王子命
 例祭日:7月第三日曜日を含む金・土・日に斎行(祇園祭)
 境内社:蘇民神社・疱瘡神社、天満宮
 由緒: 奈良時代のはじめに編纂された備後風土記に当社の名称、疫隈国社がでています。
 仏教が伝来し、本地垂迹説の影響を受けて神社名が祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社と呼ばれていました。明治時代に出された神仏分離令により、神社名に仏語を用いることが禁じられたため、現在の神社名である素盞嗚神社に改名されました。備後国一宮で旧県社に列していました。
 600年代  素盞嗚神社創建(天武天皇)
 713年    備後風土記編纂(当社の旧名称(疫隈国社)が見られ、蘇民将来伝説の記述あり)
 734年   吉備真備、唐より帰朝の際、備後より素盞嗚命の神霊を広峰に勧請奉祀せり
 897年   素盞嗚神社再興(醍醐天皇)
 927年   延喜式神名帳に須佐能袁能神社として記載されている
本地垂迹説が起こる 神社名も祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社と称されていた
 1868年  神仏分離令により神社の名称に仏語を用いることを禁じられたため、現在の「素盞嗚神社」に改める
 (素盞嗚神社公式HPより)

境内案内板はこちらで

社号標「式内社」「縣社」 神社入口
随神門前の文政3年(1820)生まれの狛犬
マントヒヒの様な顔つきで、吽には円錐の様な角が付いています。阿吽ともに垂れ耳で、阿は縦ロール、吽はストレートの鬣です。
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(文政3年(1820)夏5月建立)
随神門 参道の様子
手水舎 明治35年6月奉納の鉄製水鉢
水鉢を支える4体の邪鬼
神楽殿と奥に拝殿
拝殿前、明治42年生まれの玉乗り狛犬
大きな玉に身体を預け、耳を横にピンと立て、胸をグッとそらせて斜め前方を睨んでいます。けれど、どことなく愛嬌があり、この狛犬もお尻が可愛いですね。
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(明治42年(1909)7月吉日建立)
拝殿屋根上の飛び狛ちゃん
幣殿と入母屋造の素敵な本殿
境内社:蘇民神社(蘇民将来)、
疱瘡神社(比比羅木其花麻豆美神)
境内社:天満宮(本地堂)
(菅原道真公)
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境内の様子 旧相方城の城門
城門案内はこちらで
城門前にいる昭和2年生まれのサーカス狛犬
こんな形の狛犬を見たのは長崎市上西山町・諏訪神社と此処だけのような気がします。夫は「俺だったら、後のことを考えたらとてもこんな形の狛犬は作れないな。勇気のある石工さんだな〜。」と言っています。確かに石の材質は堅い花崗石ではありますが、如何にも危なっかしい造りです。又、この狛犬には雌雄の別があります。躍動感に溢れた、丁寧な良い造りの狛犬です。
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(備後鞆町石工・右下政治郎 昭和2年(1927)7月建立)