福山八幡宮
福山市北吉津町1-2-16(平成20年3月23日)
東経133度21分46.48秒、北緯34度29分26.12秒に鎮座。
この神社は福山状の北約250m、城北中学校東に鎮座しています。
社地は非常によく整えられていて、何もかも東西対照のレイアウトで構成されています。入口の門も二つ造られ、参道も二本東西からまっすぐに北側にのびており、石段を上がり東西の随神門を潜ると、東西の拝殿・本殿が建立されています。参道途中の狛犬も同年代に建立され、随神門裏側の神門狛犬もよく似ています。
もともと延広八幡宮と野上八幡宮という二つの八幡宮が奉祀されていたためですが、一般的にこういう場合にはどちらかの本殿へ合祀されることが多いと思われますが、この社では全てが同規模で東西に並列に並べて建てられており、全国的に類例の少ない形式だそうです。確かに私たちも随分沢山の神社を参拝してきましたが、こういう造りは初めてです。その中央部には合祭殿(中央拝殿)があり、正面の舞台から社殿全体を眺めるとその大きさ華麗さに圧倒されます。
御祭神:誉田別命(応神天皇)、息長帯比賣命(神功皇后)、比売大神(紀理姫命・多岐都姫命・市杵島姫命)
例祭日:1月・歳旦祭、2月・紀元祭 祈念祭、4月・聰敏神社例祭、7月・和霊神社例祭 大祓夏越祭、10月・例大祭、11月・明治祭 新穀感謝祭、12月・松尾神社例祭 鍛冶神社例祭 天長祭
境内社:聰敏神社、鍛冶神社、荒神社、和霊神社、柿本神社、稲荷神社、西五社(猿田彦神社・思兼神社・神明宮・厳島神社・天神宮)、東五社(坂本神社・稲生神社・天御中主神社・三柱神社・荒神社)、松尾神社
由緒:福山八幡宮は2つの社で構成されています。かつては、東御宮は延広(のぶひろ)八幡宮、西御宮は野上(のがみ)八幡宮と呼ばれ別法人として祀られていましたが、1969年に両者の法人格を合併し「福山八幡宮」となりました。
備後福山の総鎮守とされ、境内には結婚式などを行う福山八幡宮会館のほか水野勝成を祀る聡敏神社や稲荷神社など多くの社も祭られています。
伝承によれば福山八幡宮の前身となる延広八幡宮と野上八幡宮は古代から深津郡に奉祀されていたとされていますが、両神社が文献に現れるのは江戸時代になってからで、それ以前の正確な様子はわかっていません。
福山藩初代藩主・水野勝成公による福山城築城と城下町の整備に伴い城下に祀られるようになり、2代藩主・水野勝俊公の時代に城下南側の西と東に置かれる形ができあがりました。
4代藩主・水野勝種公は天和3年(1683)に城下南東の延広八幡宮と城下南西の野上八幡宮を筆頭家老・上田玄蕃下屋敷であった吉津川北岸の松廼尾山に移転させました。
本宮は福山城天守を南に望む小山の山頂に同じ形式・規模で並べて建てられ、隣接した位置に設置されましたが、両社の間は福山藩初代藩主である水野勝成公を祀る聡敏神社が鎮座し、参道も東西それぞれに専用のものが設けられました。このように藩士と町人の氏神が対等に並べられたことは、水野家の統治政策を象徴しています。以後、2つの神社は両社八幡宮と呼ばれることになりました。
昭和44年に両者の法人格は合併され神社本庁所属の別表神社となり、社名は「福山八幡宮」と改称されました。
両社の本殿は共に建造当時のまま今日まで残されていますが、聡敏神社は昭和59年の合祭殿(中央拝殿)建設により西御宮裏(北西部)に移され、本殿の周囲も舞台の新設を始めとする大規模な整備が行われ創建時から大きく姿を変えました。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
福山八幡宮公式HPはこちらです。
(この地図で東西の神社の相似形がお分かりになるでしょうか?)
西御宮入口 |
東御宮入口 |
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西御宮社号標 |
東御宮社号標 |
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西御宮参道の様子 |
東御宮参道の様子 |
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西御宮両部鳥居 |
東御宮両部鳥居 |
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西御宮随神門 |
東御宮随神門 |
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西御宮拝殿 |
東御宮拝殿 |
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合祭殿への参道 |
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合祭殿内の様子
通称中央拝殿とも言われ、
各種神事を斎行する所です。 |
合祭殿本殿 |
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境内社:荒神社 |
境内社:和霊神社 |
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境内社:柿本神社、稲荷神社 |
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境内社:西五社
左から、猿田彦神社・思兼神社・
神明宮・厳島神社・天神宮 |
境内社:東五社
左から、坂本神社・稲生神社・
天御中主神社・三柱神社・荒神社 |
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境内社:鍛冶神社社号標 |
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鍛冶神社入口
朱の台輪鳥居が目立ちます。 |
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鍛冶神社拝殿 |
鍛冶神社本殿 |
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境内社:松尾神社入口 |
松尾神社社殿 |
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境内社:松尾神社境内にいる享和2年(1802)生まれの狛犬
垂れ耳、横広の顔でやや太め、愛嬌者ですが阿の左顔面が欠けています。尾は葉団扇のように広がっています。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(享和2年(1802)4月吉日建立) |