高崎市柴崎町801 (令和元年5月2日)
東経139度03分08.14秒、北緯36度18分56.06秒に鎮座。
この神社は、高崎駅の東4km程の辺り、柴崎町の街中に鎮座しております。
御祭神 速須佐之男命・稲田姫命
由緒
当神社は平安時代清和天皇の御代諸国疫病流行の際勅諚に依り、貞観11年(869)に尾州津嶋より勧請し創祀されました。
以来天喜5年(1057)源頼義公奥州征討の時、当社を尊崇され武運長久を祈願し、凱陣にあたり奉賽の為め社殿を修造し社領を寄進されると共に当社司職を当国司職の惣管司に補任せられました。
戦国時代に至り、武田、上杉、北条の各武将を始め、箕輪城主、高崎藩主等亦深く崇拝せられて神領を寄進し奉幣の儀を行われる事、屢々でした。江戸時代寛永19年(1642)将軍家光公より御朱印三千石を寄進せられ、以来幕末迄続いておりました。
明治維新に至り、それまでの社名「天王宮」を御祭神の大神様の神名にちなみ雄大に進むを祈願し「進雄神社」と改称しました。
境内由緒書き より。
一の鳥居
二の鳥居
参道
神橋
境内
拝殿前のブロンズ製狛犬
拝殿
拝殿内部
本殿
天王稲荷神社
社殿
お狐様
天神の丘十二社
十二社
境内社
庚申塔等
道祖神