津島神社

津島市神明町 (平成21年4月5日)

東経136度43分17.64秒、北緯35度10分30.97秒に鎮座。

【神社情報・Rumarin&Saiseiさんより】
津島駅の真西1km(楼門側)
国道155号の江西町交差点を東に300メートル行った左側(南門側)。いずれも広い駐車場があります。この神社は全国に約三千社あるといわれる津島神社・天王社などの総本社であり、旧国幣小社です。
御祭神は建速須佐之男命、相殿に大穴牟遅命です。さすがに津島神社の総本社というだけあって、大鳥居に立派な拝殿と広い境内、そして国の重要文化財の本殿と楼門、6の摂社に30の末社とスケールが違います。
花見のシーズンと春休みと日曜とが重なったからか、大駐車場がほぼ満車になっていて、境内には多くの参拝客がいました。(神社の南東300mにある天王川公園が桜の名所で、ここで津島神社の天王まつりが行われます)
狛犬さんは摂社の弥五郎殿社の本殿のところにいました。県の文化財に指定されている天正十年の石造狛犬がいるそうですが、こちらは恐らく宝物庫の中だと思われます。
祈祷者控所にはフランス人画家が奉納した須佐之男命の八岐大蛇退治を描いた絵画が掛かっていました。完全に控所が写り込んでいますが面白いので画像付けます。

津島神社由緒
当神社は古くより津島牛頭天王社と申し上げ、現在でも「津島さん」「天王さん」として尾張地方をはじめ中部・関東・東北地方の人々にも崇敬されております。
全国の天王社の総本社であり、約3,000社のご分霊社があります。
1.ご鎮座は、欽明天皇元年(西暦540年)であります。
1.ご祭神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)相殿に大穴牟遅命(おおなむちのみこと)大黒様をお祀りしています。
1.ご神徳は、疫病・災厄除・授福の神様
1.ご例祭は、六月十五日
1.尾張津島天王祭 七月第四土曜・日曜日
境内由緒書より。全文や境内案内はこちら。

社伝によれば、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年〜994年)には一条天皇より「天王社」の号を贈られたと伝えられる。しかし、延喜式神名帳には記載されておらず、国史にも現れない。年代が明確な史料では、承安5年(1175年)の名古屋七寺蔵・大般若経奥書に名前が見えるのが最初であり、実際には藤原摂関時代の創建と見られる。延喜式神名帳の記載はない(式外社)が、尾張国国内神名帳では海部郡の筆頭に「正一位上 津嶋牛頭天王」と記載されている。

東海地方を拠点とした織田氏は当社を氏神として崇敬し、社殿の造営などに尽力した。織田氏の家紋の木瓜紋は当社の神紋と同じである。豊臣氏も社領を寄進し社殿を修造するなど、当社を厚く保護した。江戸時代には尾張藩主より1293石の神領を認められ、後に幕府公認の朱印地となった。厄除けの神とされる牛頭天王を祀ることから、東海地方や東日本を中心に信仰を集め、各地に分社が作られた。

明治の神仏分離の際、建物・祭事などにおけるあらゆる仏教的な要素は廃され、祭神を建速須佐之男命とし、社名から牛頭天王の名を外して津島神社とした。明治6年(1873年)に県社に列格し、大正15年(1926年)に国幣小社に昇格した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より

管理人の一言。
今でも「天王さん」と呼ばれる位ですから、氏子さん達も御祭神は「牛頭天王」と思っているようです。明治政府による、強引な御祭神の書き換えを元に戻しても、そろそろ良いのではないでしょうか。

神社入り口と社号標

楼門

境内

境内 楼門と巫女さん

拝殿

拝殿内

本殿表裏。拡大写真はこちら。

祭文殿

摂社 弥五郎殿社
御祭神 武内宿禰命・大穴牟遅命
由緒
津島神社社家紀氏の祖神「武内宿禰命」を祀る。南北朝時代、南朝の忠臣楠正行と共に四条畷の戦(正平三年1348)にて戦死した社家堀田一族の堀田弥五郎正泰が、生前当社を造替し、大原真守作の佩刀(津島神社社宝、国重要文化財)を寄進したことから弥五郎殿社と呼称されている。

弥五郎狛犬。焼き物なのでしょうか。

摂社 居森社
御祭神 須佐之男命幸御魂
由緒
社伝によると、欽明天皇元年(540)に大神がこの地に始めて来臨され、神船を高津の湊の森に寄せて奉ると、蘇民将来の裔孫と云う老女が、霊鳩の託によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われる。

居森社、疹社、大日め社

南門と蕃塀

南門の桜

天王川公園(御旅所の鳥居)

全国の神社に日本神話を描いた絵を奉納しているフランス人画家マークエステル・スキャルシャフィキさんの「須佐之男命、八岐大蛇退治」の絵。