榛名神社

高崎市榛名山町849(平成19年7月8日)

 この神社は榛名湖から南西に約3kmほど33号線で降ると、左側に神社の入口があります。その又6km程降った、里に近い211号線脇に一の鳥居が建立されているという、途方もなく壮大な神社です。観光客が多い神社ですが、その多さも余り気にならない程、広大な社地と参道が長く続く、まさに深山幽谷の感がある神域です。
 随神門を潜ると、如何にも深山幽谷の神域を感じさせる雰囲気の中、榛名川沿いに石畳の参道が気持ちよく続きます。途中、秋葉神社、千本杉、鞍掛岩等を見ながらぶらぶら歩くと、神仏混淆時代の名残の県内唯一の塔・三重塔が忽然と姿を現しました。あの明治時代の嵐のような廃仏毀釈の波の中、よくぞ残っていたものと感心したり、神社の叡智に感謝したり…。落石防護屋根の下を過ぎると 神橋と役の行者が修行を行なったという謂われが残る行者渓に到達します。ここから眺める巨岩や岩山の姿はまさに仙界の様な景観です。その後は一年中水の涸れることがない萬年泉や、瓶子の滝、神幸殿を経て、やっと神門にたどり着くことになります。この間参道の距離は700mといわれていますが、私達は写真を撮ったり寄り道をしたりで、何と30分位かかりました。
 神門を潜ると社務所の対面に階段があり、その上に双龍門と鉾岩が見えますが、「榛名神社」というとここの写真が載っている、神社の象徴的な場所となっています。境内正面には拝殿が建ち、その後ろに幣殿・本社と続いて建立されており、その背後にそそり立つ岩が御姿岩と呼ばれる「御内陣」です。拝殿左側には国祖社・額殿、神楽殿が建立されていますが、これらの建物全てが国の重要文化財に指定されています。

 御祭神:火産靈神、埴山姫神、合祀:大山祇神、御沼神、大物主神、木花開耶姫神
 例祭日:歳旦祭・1月1日、氏子・崇敬者年頭祈願祭・1月3日、筒粥神事・1月15日、節分祭・2月3日、御神楽始祭・2月15日、祈年祭・2月17日、 御嶽祭神事(御姿岩御幣束を取り替え神事)・5月1日未明、 端午祭・5月5日、神幸祭・神輿渡御(神幸殿まで)・5月8日、還御祭・神輿還御(神幸殿より)・5月15日、春季例祭・5月15日、粽祭・6月5日、大祓道饗祭・鎮火祭・6月30日・12月31日、秋季例祭・10月9日、新嘗祭・11月23日、天狗祭神事・12月31日、月次祭・毎月1日・15日
 末社:境内社・須賀社、秋葉社、境外社・御沼龗社、琴平宮、富士山神社
 由緒:第31代用明天皇元年(586)創祀と伝えられる延喜式内の古社で、上野十二社の六の宮です。南北朝時代から徳川時代の末期に至る迄神仏習合の時代が長く続き、中里見光明寺が学頭、満行宮榛名寺が別当となり、この社は満行権現(元湯彦命)と呼ばれ、東叡山上野寛永寺の管下に属し、別当兼学頭が一山を管理していました。「榛名山志」には、東殿饒速日尊、中殿元湯彦命、西殿熟真道命、又は、伊邪那岐神、伊邪那册神、大己貴命、国常立命などの御祭神名が書かれているようです。明治初年神仏分離の改革により、現在の二神に改められ、榛名神社として独立しました。
 この他、、享保11年御開帳時に初めての御神楽の奏上が記録されている、国指定重要無形民俗文化財の榛名神社神代舞(太々御神楽)が伝承され、例祭に奉納されています。(榛名神社公式サイト参照)

「榛名神社一之鳥居」石標 榛名神社一之鳥居
神社より6kmも里に近い、211号線脇(多分旧道跡)に建立されています。
社号標 神社入口
国指定重要文化財・随神門
弘化4年(1847)に上棟された入母屋造・銅板葺、正面と背面に軒唐破風付、三間一戸の八脚門です。神仏分離までは二力士像があって雲慶の作と伝えられていました。
案内図
拡大写真はこちらで
随神門内に居られる随神さん達
随神門右手に建つ毘沙門天
境内にはこの毘沙門天だけでなく、七福神が祀られていました。
七福神像の写真はこちらで
随神門右手の末社
如何にも深山幽谷の神域を感じさせる雰囲気の中、石畳の参道が気持ちよく続きます。 参道右手を流れる榛名川の清流
写真では分かりづらいのですが、中央暗くなっている所の上部が鞍掛岩です。確かに湾曲した大きな岩が鞍の様な形をしています。
未だ未だ参道は続きます。
参道左が秋葉神社への入口となります。
摂社・秋葉神社入口
秋葉神社へのご案内はこちらで
千本杉
この一帯には樹齢100年〜400年の杉の古木が1000本も植樹されているそうです。
参道左手の末社
石の祠の苔むし具合が、如何にも
遠い昔からここに祀られ、
崇敬されてきたことを
物語っているかの様です。
緩い坂を上りきると参道は階段となり、
心まで澄み切るような音色の水琴窟や、
水に濡らすと文字の浮き出る「廻運みくじ」
を収める灯篭、茶店等があるので、
ここで一寸一休み…をお薦めします。
三重塔手前にいる建立年代不明の狛犬。奉納者名は「東京 青山 小林家」と彫られていました。
狛犬の拡大写真はこちらで


三重塔、正面と右側面から
明治2年(1869)再建で群馬県内唯一の塔、神仏混淆の名残です。
三の鳥居を潜ると、左手に「御庁宣の碑」。
右手、手前の赤い半球の付いている石碑が
「古谷トマト」碑で、その台石は「犬神石」と呼ばれ、
窪みの水を目に付けると眼病が治るといわれています。
落石防護屋根の下、塞神社が祀られています。
御祭神:八街比古神、八街比賣神、来名戸神


神橋と行者渓
役の行者が修行を行なったという謂われが残る行者渓。
神橋から仰ぐ行者渓は巨岩や岩山が奥深く連なって見え、
確かに行者の修行場に相応しい、仙界の様な景観です。


東面堂
神仏分離令(1868)が出されるまでは、神仏習合が長く続いた榛名神社。
未だに仏教の影を色濃く残していますが、この扉は広重の
「榛名山雪中図」にも描かれた東面堂の名残です。
万年泉
一年中水の涸れることがない泉で、
旱魃の年、この御神水を竹筒で持ち帰り、
田畑に蒔けば霊験あらたかとか…。
やっと手水舎が見えてきました。 手水舎脇の小祠
瓶子の滝
滝の両側の岩が神酒を入れる
器(瓶子:みすず)に見えることから呼ばれています。
手水舎から神幸殿を経由して神門に至る階段です。
さあ、境内へはもう一息です。
国指定重要文化財・神幸殿
入母屋造銅板葺妻入の建物で、安政6年(1859)の建立です。
5月8日に本殿より神輿が渡御し、15日に還御されるまでの期間開かれ、参拝ができます。
神門
ここが境内入口となります。何と参道は約700mもあり、途中境内社の秋葉神社まで登ったり、
写真を撮ったりしながらゆっくりと歩いてきたら、30分もかかりました。

         境内へ