武内神社
渋川市祖母島499(平成22年7月10日)
東経138度57分16.44秒、北緯36度32分18.56秒に鎮座。
この神社は吾妻線・祖母島駅の西北西約500mに鎮座しています。地図上だと35号線にも入口があるのですが、実際は車では躊躇してしまうような細い道路で、私達はぐるっと回って東側から入りました。小丘の上に社地が作られ、参道には一の鳥居。石段の上がり口に二の鳥居が建立され、消えかかってはいますがそれぞれ「正一位宿禰大明神」の額が掛かっています。境内に上がるとすぐに千鳥破風唐破風付きの拝殿が建ち、繋がった形の鞘堂内には柿葺の本殿が建立されています。境内左には沢山の末社が祀られ、右には樹幹が枝分かれした御神木、拝殿前には苔が付いた風流な手水鉢が置いてあります。
御祭神:建内宿祢命、配祀:宇気母智神、速須佐之男命
祭礼日:4月3日・例大祭、 7月25日・祇園祭、10月9日・例大祭
境内社:多数
由緒:由緒は不詳ですが、江戸時代までは「宿禰大明神」と称し、明治2年に武内神社と改称しました。
この社は「式内社 上野國群馬郡 甲波宿禰神社」の論社です。因みに甲波宿禰神社の論社は
渋川市川島・甲波宿禰神社
渋川市祖母島・武内神社
東吾妻町箱島・甲波宿禰神社
の三社があります。この三社は吾妻川に沿ってほぼ等間隔に鎮座していますが、海神や川神に関する神社は、三社構成であることが多いということで、吾妻川(甲波=かわ)を神格化して祭祀した神社で、三社並立の神社ではなかっただろうかと推測されています。
現在の御祭神は、建内(武内)宿禰命となっていますが、「神奈備にようこそ 延喜式神名帳 東山道 上野國」に、「甲波宿禰神社が宿禰大明神と略されてから後世武内がつけられ宿禰が消えたものである。甲波は川であり、大和吉野の丹生川上神社のように上中下の三座並んでいた神社の可能性もある。」と甲波宿禰神社が宿禰大明神と略され、後世に宿禰から連想される武内宿禰命から武内がつけられ、宿禰が消えたと推測しておられます。
社頭 |
 |
一の台輪鳥居 |
 |
二の木製両部鳥居 |
 |
境内入口 |
 |
境内の様子 |
 |
拝殿 |
 |
本殿 |
 |