近津神社

石川郡石川町南町 (平成16年7月25日)

東経140度27分34.07秒、北緯37度8分36.1秒に鎮座。

この神社は、石川町の中心部、石川小学校の東200m程の辺りに鎮座しております。御祭神は味耜高彦根命で、福島県では同名社が東白川郡を中心に七社あるそうです。道案内の神、護衛の神であり、実は味鋤高彦根神とは一言主神の別魂であるという方もいらっしゃいます。何れにしろ関東地方を中心に多い神社ということはいえるようです。

近津神社縁起
永承六年(1051)陸奥の安倍貞任宗任一族の反乱によって前九年の役がおこると源頼義父子が率いる朝廷軍は当地に布陣した。安倍一族との戦いを前に義家公は國中の祖霊を招魂して祈願すると突如として雲霧が湧き立ち四方が薄闇の中に埋もれた。雲霧が晴れると安倍一族の大軍は退散していた。義家公は大いに喜び勇んで追撃、連戦、連勝を重ねた。その後この天運に感謝し、この地に「千勝大明神」を祀り「中ッ國産の扇」を御神体とし祭祀した。前九年の役が終わると、源氏の一族源有光は奥州の押えとして石川の地を与えられた。康平五年(1062)有光公は八幡山(*1)に三蘆城(*2)を築いた。この山頂に「味鋤高彦根命」を祀る社があったが築城中同社を假に高田五里石の千勝大明神の地に遷座した。治暦二年(1066)九月これを旧社に還遷し祭神味鋤高彦根命を合祀して近津神社と改称した。祭神は大國主命の子(*3)、農業の神、國守の神として古くから当地方の人々に崇拝されていたが、以来近津神社は、五穀豊穣、家内安全、商売繁昌、無病息災、火難水難除、修学就労成就、交通安全の神として近郷近在の崇敬を集めるに至った。・・・・・・以下省略
境内由緒書より。

*1 現在、石都々古和気神社の鎮座地。
*2 三芦城(みよしじょう)は、福島県石川郡石川町にあった城館の跡。平安時代後期から戦国時代にかけて石川郡を支配していた陸奥石川氏の居城である。別名は石川城。(ウィキペディアより)
*3 アヂスキタカヒコネ(アヂシキタカヒコネとも)。大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。(ウィキペディアより)

近津神社縁起となっていますが、石都々古和気神社の由緒のようにも読めます。何れにせよ、明治までの御祭神は「千勝大明神」で明治になり「味鋤高彦根命」に改めたと思われます。

神社入口

猪顔の狛犬

小さいけれど造りの良い本殿

短足だが尻尾の造りが旨い御神馬像

この近津神社の住所違いを教えて戴いた方のメールに
「余談ですが馬の石造が短足なのは、本来の日本馬の為だそうです、子供の頃この馬に乗って遊んで居ました。」だそうです。
しかし短足といっても何せ馬ですから、かなり高そうですが・・・・・・又、厚かましく、千勝か、近津かを尋ねたところ、
「石川町観光課、教育委員会の両友人に聞いた所、近津神社が正式名称で千勝神社は太平洋戦争中に(ちかつ)にあやかって氏子の人達が付けたそうです。」
と言うことでした。有り難う御座います。

煙草神社