宗像大社

宗像市田島2331 (平成22年4月2日)

東経130度31分0.1秒、北緯33度49分40.14秒に鎮座。

この神社は、宗像市の北西4km程の辺りに鎮座しております。沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなるこの神社は、総称名を宗像大社と云うが、現在では辺津宮のみを指す場合も多いようです。勿論参拝者の殆どはここを訪れていると思われます。

宗像大社は、皇祖天照大神の御子神である三柱の姫神をおまつりしています。この三女神は田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神と申し上げ、沖ノ島の沖津宮には田心姫神。大島の中津宮には湍津姫神。ここ田島の辺津宮には、市杵島姫神がそれぞれおまつりされています。この三宮を総称して、宗像大社と申します。日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には天照大神の「永遠に皇室をお助けし皇室からも厚いお祭りをうけなさい」との神勅(天照大神のお言葉)により、三女神が、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化の受入窓口として、重要な位置にあるこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが、記されています。
宗像大神は、またのお名前を「道主貴」と申し上げ、すべての道を司る最高最貴の神様であることが「日本書紀」に記されており、古来より海上交通、陸上交通の安全を守護する神様として信仰されてきました。現代では自動車交通の発達にともない交通安全の最高の守護神として、全国の人々から厚い崇敬を受けています。
境内由緒書より。

御祭神について
当大社は天照大神の御子神
田心姫神 (沖津宮)
湍津姫神 (中津宮)
市杵島姫神(辺津宮)
の三女神が、日本書記に伝えられているように天孫降臨にさきだち天照大神の御神勅を奉じて鎮座されました。
この九州北辺の要衝の地に三柱の女神が勅祭された意義はまことに尊く、道主貴(みちぬしのむち)の御別称が示すように国民道の祖神として歴代の皇室を守護され国家鎮護の御神徳を発揚され今日に至っております。また古くから皇祖天照大神をおまつりする伊勢神宮に対して裏伊勢とも称せられ皇室をはじめ国民の崇敬も厚いお社です。宗像大神をおまつりする神社は全国に六千余社ありますが、当大社はその総本宮であります。
境内由緒書より。

史跡宗像神社境内
宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなり、宗像三女神を奉斎している。
ここに祀られる宗像神については、記紀、風土記にも詳らかにのべられており、沖津宮のある沖ノ島からは、古墳時代から平安時代にかけての貴重な祭祀神宝(国宝)があ多数出土している。
また宗像大神を奉祀する宗像氏は古代の有力な氏族であり、中世には院庁、鎌倉、室町両幕府らと関係をもち、戦国期にもその地位を守り抜いた豪族であった。
旧経大の概要は、現存する天正六年(1578)の造営絵図により想定できるが、現境内もなおよく当時の形状を保っている。
文部省

本殿

一の鳥居〜本殿

高宮祭場

第二、三宮

末社

絵馬堂

御神木と神紋について
この楢の木は、当大社の御神木であります。当大社の神紋はこの楢の葉に実をあしらった文様で歴代の宗像大宮司家の家紋としても使用されてきました。この御神木の樹齢は約550年位です。