鵜森神社

坂井市三国町川崎13-11-1(平成24年6月1日)

東経136度9分37.2秒、北緯36度11分23.52秒に鎮座。

 この神社は九頭龍川の河口近く、三国神社駅の南約2.3kmに鎮座しています。
 参道入口には旗立台があり、南南東に延びた参道を歩くと台輪鳥居が立っていて、その奥のこんもりとした森が神社の社域です。神社に入ると参道右に「鵜森神社」と刻まれた社号標と駐車場が配され、木々の繁茂した奥に開けた境内が造られています。
 境内左には神楽殿らしき建物があり、右には社務所。社務所から廊下で繋がれた形の入母屋造りの拝殿が、正面奥に建立されています。拝殿には珍しい笙を手に持つ天女の目貫彫刻や、全身像を持つ木鼻狛犬等素晴らしい彫刻が施されています。本殿は流造の屋根だけが見える覆いで囲まれています。又、本殿に向かって左側には境内社が数社祀られ、脇に二対の笏谷狛犬がいます。
 九頭龍川土手下の、大きな森を持つ閑静な雰囲気の神社でした。

拝殿は瓦葺・入母屋造だと思うが、

 御祭神:伊弉册尊、天津兒屋根命、天照皇大神、大日靈貴尊
 祭礼日:11月3日
 境内社:不明
 由緒:今より約一千五百年の昔、勅命により三国湊口の岩山を切り通して当地方一帯の水を海へ流すことになっ た 男大迹王は この至難な一大偉業を達成するには先ず水神の鎮魂を図り 神々様の御守護を賜わって人事をつくさんと決意され 当時湖上に浮ぶこの森に天 照大神を祭神とし 宮居をたてたのがこの神社であります 工事は十八年の長きに亘りましたが 殆んど毎日参拝され真心こめて大願成就をお祈りしたと伝えら れています
 男大迹王 御年五十八歳の時 皇位継承のため時の朝廷に迎えられて 人皇第二十六代継体天皇となられましたが 当時都に不足勝な鵜屎をこの森より朝廷へ献上する道を開かれたと伝えられています 献上はその後長年に亘って続けられ 次のような尊くも有難い 宣下を賜わったのであります 今より約一千二百年の昔のことであります
 「境内に樹木繁茂し 数千の鵜巣食い蕭々たる宮居 なり 桓武天皇の御宇延暦年中鵜屎森の宣下あり 鎮守府将軍坂上田村麻呂社領を寄付す」
 現在石の鳥居の正面に見られるあの「鵜屎宮」の石額こそ誠に貴重な宝であります 尚鵜屎は古代に於て化粧用品として大変重要な物品であり これを少しでも多く手に入るよう神様にお祈りしたのであります
 当社は 古代の名君とたゝえられる継体天皇並に鵜屎献上により古代の朝廷とかゝわりあいの深い由緒あるあら高い宮居でありました
 茲に 謹んで当社のあらましを記録し 長く後世に残さんとするものであります

社頭
参道入口から見る参道と鎮守の杜
参道途中に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
神社入口 社号標
境内入口
境内の様子
拝殿前、明治43年生まれの狛犬
明治時代後期に北陸地域で時々見かけるタイプです。出雲狛犬をずっと洗練させて穏やかな風貌にした、バランスのとれた狛犬です。阿には子狛が寄り添い、吽は玉に手を掛けています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治43年(1910)9月25日建立)
唐破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿目貫彫刻・笙を手に持つ天女
拝殿木鼻・狛犬
木鼻として全身像を持つ狛犬は坂井市三国町・伊伎神社についでこの社で二社目です。手の込んだ良い造りの狛犬です。
拝殿内の様子
弊殿と本殿覆い屋
神楽殿?

境内社全景
境内社脇に纏められた笏谷狛犬
境内社六社の石祠

ご神木