青海(あおうみ・せいかい)神社

大飯郡高浜町青 (平成22年7月27日)

東経135度30分48.68秒、北緯35度29分04.55秒に鎮座。

この神社は、青郷駅の北東1.5km程の辺り、関屋川のすぐ南側に鎮座しております。27号線の入口から150程もある参道は巨木で鬱蒼としており、人里近い神社とは思えない程です。

延喜式内 青海神社由緒
主祭神 椎根津彦命
合祀神 八幡大神・稲荷大神
当神社の創建年代は不詳なれども延喜年間に編され延長五年(927)に撰進された延喜式神明帳に記載された式内社であり、古くから信仰を集める古社であります。主祭神の椎根津彦命は古事記、日本書紀に依ると、神武天皇東征の砌、海道を導かれ、日本の建国に際しては殖産興業に御尽力されました。
青郷の人々の祖先である青海首は海部と呼ばれる、海に関する人々であり、御祭神椎根津彦命の末裔でありますが、海部を御統治された第十七代履中天皇の皇女飯豊青皇女(青海皇女)が御祭神を慕われ御祀りになられたと伝えている。
現在ご本殿後方の窪地は、飯豊青皇女の禊池と伝えている。古代の青郷は現在の地域よりもはるかに広く、現在の青郷は元より高浜町の内浦地区、京都舞鶴市の大浦地区をも含み、当神社は若狭丹後国にわたるこの地域の総鎮守の宮であります。
境内由緒書より。原文はこちら。

由緒沿革
 創祀年代は不詳であるが『延喜式神名帳』収載の式内社である。現在音読して「セイカイさん」とも、又俗称「大森さん」とも言う。御祭神の椎根津 彦命は神武天皇東征の砌、御仕えになられ、海運漁業陶業殖産興業に御神徳のある方であるが、青海の首の祖神でもある。本居宣長翁の古事記伝には 「履仲天皇の子(一説には孫)と言われる飯豊青海皇女を祀る」とも註記している。鎮座地の青は、平城宮址出土木簡に「青里」 「青郷」と記されて いる如く、古来朝廷の大贄の貢進地であり屯倉であったと推測され、皇女との深い繋がりが考えられる。若越小誌には、「履仲天皇の青海皇女は飯豊皇女又、飯 豊青皇女とも云ひ、若狭に御名代りの地を有せられり。阿袁郷即ち是にして、其郷名之より起る」とある。現在社殿後方、関屋川に近い窪地は、「禊池」と言 い、飯豊青皇女の禊をされた涌泉の遺址と伝え、池水替え神事が七月一日に当年の禰宜役により実施される。
又、この他から北西方向を望めば、泰澄大 師が開山されたという、霊峰青葉山が真近に聳えている。神社と山を結ぷ線上には、石剣石戈出土地や前方後円墳も所在する。往古、青葉山麓を中心として丹後 国加佐郡の東西大浦地区(現・京都府舞鶴市)にも及んでいた。
『若狭国神名帳』には『正五位青海明神』、『稚狭考』には「青海大明神」とあるが、 寛政七年(一七九五)九月・神祇管領長卜部兼倶より正一位の神階贈位に預かり併せて神額染筆下附を請い聴許された。明冶四四年五月六日に幣帛供進の神社に 指定された。大正一三年八月五日に郷社に昇格、神饌幣帛料供進の神社に指定された。特殊神事には、シバノミイレ(柴祈年)の行事を今に伝えている。

御祭神の椎根津彦命は神武天皇東征の砌、御仕えになられ、海運漁業陶業殖産興業に御神徳のある方であるが、青海の首の祖神でもある。本居宣長翁の古事記伝 には、「履仲天皇の子(一説には孫)と言われる飯豊青海皇女を祀る」とも註記している。
福井県神社庁公式サイトより

27号線に立つ看板と、参道の社号標。

「柴の実入れ」神事とは、氏子らが柴で神主役の男性を力いっぱいたたき、今年一年の豊漁豊作、商売繁盛等を祈願するといった、なかなか荒々らしい「根性の実入れ!?」、神事のようです。

由緒書にも登場する飯豊青皇女は実在の人のようです。

飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ、允恭天皇29年(440年)? - 清寧天皇5年(484年)11月?)は、記紀に伝えられる5世紀末の皇族(王族)。履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女で、第22代清寧天皇の崩御後に一時政を執ったとされる。
飯豊皇女または飯豊王女と書かれることも多い。飯豊女王、飯豊王、飯豊郎女、青海皇女、青海郎女、忍海郎女、忍海部女王とも。(読みは、飯豊皇女・飯豊王女・飯豊女王・飯豊王はすべて「いいとよのひめみこ」。飯豊郎女は「いいとよのいらつめ」。飯豊青尊は「いいとよあおのみこと」。青海皇女は「あおみのひめみこ」。青海郎女は「あおみのいらつめ」。忍海郎女は「おしぬみのいらつめ」。忍海部女王は「おしぬみべのひめみこ」と読む)
「いひとよ」とは古語でフクロウのことをいい、古代ギリシアでは知恵の象徴であった。「おしぬみ」は葛城内の地名・忍海で、飯豊王の本拠地。忍海部は、飯豊王の子代(こしろ)の部民(べのたみ)であるが、単なる農民部ではなく漢人(あやひと)をかかえた雑工部(物品製造に携わる職工集団)でもあったらしい。「あをみ」は不詳(あるいは青海郎女の「青海」や飯豊青尊の「青」は福井県大飯郡高浜町内の地名かとも思われる)。 修二会の過去帳拝読で読まれる「青衣の女人(しょうえのにょにん)」や、葛城山の枕詞(木幡、忍坂山等にも掛かる)の「青旗」等、「青」の意味を考える価値はあると考えられる。
ウィキペディアより。

参道

鳥居と狛犬

鳥居前の出雲丹後。拡大写真はこちら。

(年代不明)

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

玉垣の内側で幣殿を向いているので御尊顔を拝することが出来ません。拡大写真はこちら。


八幡神社
元上津区の産土神社であり、氏子の移転により、昭和五十年に当地に御遷座。青海神社の境内社となった。

八幡神社を護る狛犬。西へ5kmも行けば京都府舞鶴市。そっくりなのが、彌伽宜(みかげ)神社におります。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)旧3月建立)


境内の北東角にある「仮本殿(遷座所)」。伊勢神宮のような式年遷宮が行われているのだろうか。


本殿右手の末社。廣嶺神社・秋葉神社・八幡神社。


禊池


高浜町指定天然記念物ケヤキ

拝殿より見る境内