玉津嶋神社

小浜市松ヶ崎1 (平成22年7月29日)

東経135度45分22.91秒、北緯35度30分21.89秒に鎮座。

この神社は、北川の河口近くの北側、小浜市の住宅地に鎮座しております。釣姫神社のすぐ北側にありますが、全く別々の神社です。

玉津嶋神社延喜
玉津嶋神社は当地方最古の歴史を有する御社であり、元三味線堀より移したものである。古は玉津嶋明神又は玉津嶋大明神等と称していた。祭神は衣通姫命とあって往古玉津舜坂と称する前にあったと言われている。そもそも玉津島大明神の御鎮座、人皇七十六代近衛天皇の御時世康治元年(1142)である。久安五年(1149)二月五条三位藤原俊成卿が諸国御遊覧の際に当所を通行された。
其の時、一人の老翁に案内されて猿田彦神を祀った小一社のある勝景の地に到着したところ老翁は衢の神であることを告げていづくともなく去って行った。俊成卿、感悦して暫く逗留され玉津御神の御和歌を此の社に納めて玉津嶋明神を祀り崇敬された。即ちこの所を玉津舜坂と号する。
其の後、寶治二年(1248)秋ごろ■宮村内の疫病平癒の祈願をされたところ、その夜束帯の老翁美麗な女性が庄官の枕元に立たれた。其の時、神告を得て津田の辺にこの社を移し奉ったところ憂いがなくなった。そこで神殿を新に造営し建長二年(1250)三月正遷宮を執行する。
境内由緒書より。原文はこちら。

和歌山市の玉津島神社から勧請したのでしょうか。

そとおりひめ そとほり― 【衣通姫】
記紀に登場する伝説上の女性。その名は、容姿が美しく、艶色が衣を通して光り輝いたことによるという。古事記の允恭天皇の皇女軽大郎女(かるのおおいらつめ)、日本書紀の允恭天皇の皇后衣通郎女(そとおりのいらつめ)(弟姫(おとひめ))の別名とされる。後世、和歌三神の一人として和歌山市の玉津島神社にまつられる。
三省堂 大辞林

神社全景

神社入口

境内

玉垣内側の出雲丹後。拡大写真はこちら。

(昭和3年(1928)4月建立)

本殿

御神木