玉津島神社

和歌山市和歌浦中3(平成18年3月27日)

 住吉神社、人丸神社とともに和歌三神として知られる衣通姫尊をお祀りする神社で、和歌山市内から国道42号線で南下し、和歌浦信号を右折。151号線を進むと右手に鎮座しています。
 由緒略記には、社伝によれば神代以前の創建で、天照大神の妹神・稚日女尊を祀り、その後、この大神を尊崇していた神功皇后を合祀し、また第58代光孝天皇の夢枕に立ち現れ「たちかえりまたもこの世に跡たれむ 名もおもしろき和歌の浦波」との一首を詠じられ、天皇の病を治されたという故事が残る衣通姫を勅命により合祀し、ここに女神三神を祀る事となりました。また、小松天皇の勅願所としても知られています。詳しくは下記写真でどうぞ。
 和歌川河口の干潟が広がる美しい風景の中に濃い緑の杜を残し、如何にも女神をお祀りするに相応しい環境を整えた神社でした。その昔、万葉歌人・山部宿祢赤人の歌等にも詠まれている和歌浦の玉津島山(船頭山、妙見山、霊蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の総称)は、現在妹背山だけが、もとどおり島のまま残っている、とあり、山の中の盆地住まいだった都人には、ここはさぞ新鮮で美しい景観だった事と思われ、当時の宮廷歌人に想いを馳せ柄にもなく雅な心持ちに浸る時間を持ちました。

和歌の神様を祭る玉津島神社は、
全国でここだけにしかその名称が使われていないので、
「日本一社・玉津島神社」の社号標
神社入口と両部鳥居
慶応4年(1868=明治元年)という激動期に生まれた典型的な浪花狛犬。
幕末の和歌山は、御三家でありながら殆ど話題にのぼりませんが、どういう状況だったのでしょう?
(慶応4年(1868=明治元年)9月建立)
小野小町が着物の袖をかけたといわれる
「小野小町袖掛塀」
拝殿
奠供山山麓に建つ春日造りのご本殿は
漆塗り最高の總蝋色仕上げで、屋外社寺建築としては
他に比類をみない絢爛たる貴責な文化財…と
案内がありますが、遠くから木々の間に
垣間見るのみなので、よく分かりませんでした。
天然記念物、「根上り松(鶴松)」
今でも驚異的な生命力を感じます。
 万葉歌碑の説明板によると、神亀元年 甲子冬十月五日、
紀伊国に幸しし時に山部宿祢赤人の作る歌一首 並びに短歌
  やすみしし わご大王の 常宮と 仕へまつれる 雑賀野ゆ  
  背向に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白浪騒き  
  潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然ぞ貫き 玉津島山 (巻六−九一七)
返歌二首
  沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 思ほえむかも (巻六−九一八)
   わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (巻六−九一九)

 和歌浦にある船頭山、妙見山、霊蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山は、
もと小島で、当時それらはみな、玉津島山と呼ばれていた。
今は、その一つ、妹背山だけが、もとどおり島のまま残っている、とありました。
境内右側の稲荷神社 社殿前には一体だけの
先代耳かけ神狐様がいらっしゃいました
現役の陶器製神孤様。この様に大きな陶器製の物は始めてみました。
女神を祀る神社らしく美しい社で、紅梅、パンジーなどの綺麗なお花が咲いていました。