時平神社

八千代市

【神社情報・1948さんより】
八千代市には時平神社は4社あります。インターネットで検索しましたら
萱田町 時平神社=元和元年(1615)創立。
大和田 時平神社=慶長15年(1610)創立。
小板橋 時平神社は昭和16年に大和田から分社しての創立。
萱田下 時平神社由緒は見つからず不明。

下総三山の七年祭り(千葉県指定文化財)
数えの七年目ごとの丑年と未年に行われる船橋市、八千代市、千葉市、習志野市の4市・9社にまたがる壮大な祭りです。
その年の9月13日に小祭が営まれ、続いて11月の上旬に船橋市三山の神揃場(かみそろいば)から二宮神社にいたる神輿の昇殿参拝と千葉市幕張の磯出式を中心とした二日間にわたる大祭が営まれます。

この祭りの伝説は、藤原時平の子孫が久々田(習志野市津田沼)に流れ着き、深山(三山)に住み着いた後二宮神社の神主になり、また、高津には時平の娘が住み着いたというものです。祭りに参加する9社には役割があり二宮神社(船橋市三山)は夫・父、子安神社(千葉市畑)は妻・母、時平神社(八千代市大和田・萓田町)は息子・長男、八王子神社(船橋市古和釜)は末息子、高津比盗_社(八千代市高津)は娘、菊田神社(習志野市津田沼)は伯父、大原大宮神社(習志野市実籾)は伯母、子守神社(千葉市幕張)は子守、三代王神社(千葉市武石)は産婆に当たると考えられてきました。

また、もう一つは室町時代に馬加(まくわり)城主千葉康胤(やすたね)が奥方の出産に際し、二宮・子安・子守・三代王の神主に命じ、馬加(幕張)村の磯辺にて安産祈願の祭礼を行い無事男子を出産することができたので、このような盛大な祭りを行なったというものです。大祭では二宮神社での参拝が安産御礼の祭りに当たり、その後の磯出式が安産を祈願するお祭りに当たることから「三山の祭りは後が先」と言われるようになりました。次の祭りは2009年です。
八千代市ホームページより。

管理人の一言
藤原時平と言えば菅原道真公を太宰府へと左遷させた張本人と言われているが、平安時代の人。しかし神社の創建は江戸時代。小板橋の時平神社にいたっては昭和16年。時平の子孫達がこの地に住み着き、道真公の怨霊もやっと静まった江戸時代になり、それぞれ藤原時平公を祀る神社を創建したのだろうか。道真公が亡くなったのは、延喜3年(903)2月25日。慶長15年(1610)迄、その間707年。恐るべし、道真公怨霊の祟り!。

この他、習志野市津田沼の菊田神社船橋市三山の二宮神社にも藤原時平公が祀られています。

藤原 時平(ふじわら の ときひら、貞観13年(871年) - 延喜9年4月4日(909年4月26日))は平安時代前期の公卿。藤原基経の子。母は操子女王。子に保忠、顕忠など。弟に仲平、忠平など。

関白藤原基経の長男であり、若くして栄達するが、父の死の時点ではまだ年若く、宇多天皇は親政をはじめ、皇親である源氏や学者の菅原道真を起用した。醍醐天皇が即位すると道真とともに左右大臣に並ぶが、次第に対立し道真を遂に讒言して大宰府へ左遷させた。政権を掌握すると意欲的に改革に着手するが、39歳の若さで死去した。その早すぎる死は怨霊となった道真の祟りと噂された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。