田間神社

東金市田間2126 (平成24年10月5日)

東経140度22分23.18秒、北緯35度34分6.9秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道119号線が直角に曲がる千葉学芸高入口交差点から119号線を南南西に約300mで、道路右側に鎮座。東金の県道119号線沿いでは一番大きいと思われる神社で、田間城の跡地に鎮座する歴史の有る神社です。

御祭神 天之御中主神・高皇産霊神・皇産霊神

由緒
承平五年二月に創建された。はじめ本社の後丘、要害の地に鎮祭されてあったが、村民等の参拝の道路が嶮悪なため天正四年六月、現在の地へ奉安したと古老は伝える。
(以上 神社の広場 神社探検隊による)

田間神社を語るうえで重要なのが田間城です。田間城は永正六年(1509年)に、土気城より移った酒井定隆によって築かれました。その時の城内に第六天宮(後の田間神社)を祀ったのがはじまりです。城地が狭かったため南の地に鴇ヶ根城(東金城)を築き、定隆は本拠を移しました。田間城はその後も、支城として用いられたが、天正十八年(1590年)の東金城落城とともに廃城となりました。
天正4年(1576年)参拝路が険悪なために現在の地に遷されたといわれています。その後、享保年間(1716年〜1731年)に本殿を建立しました。明治2年(1869年)太政官布告「神仏分離令」により神社名を「田間神社」とし祭神を造化の三神とし現在に至っています。
田間神社神幸祭ホームページ より

管理人の一言
元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたようです。明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代、第六代の面足命・惶根命(オモダル・アヤカシコネ)に御祭神を変更したと言われていますが、ここの御祭神は何故か違います。受け付けた役人の胸先三寸であったのかも知れません。世田谷区・三宿神社、御祭神書き換えの例があります。

社号標 田間城跡案内
天明四年製石燈篭

神社入口

一の鳥居

神額

手水舎と宝永五年製手水石。石のカエルから水が出てくる仕掛けになってます。

二の鳥居

拝殿。左端が社務所で、常駐してるようです。

明治の作にしては古風な。先代様がいたのでしょうか。拡大写真はこちら。
(紀元2533年 明治6年(1873)建立)
向拝 神額
左右の木鼻
屋根上の飛び狛
明治二十八年製手水石

本殿

日露戦役凱旋紀念樹の石碑。後はイチョウの木で、これが記念樹のようですね。

御神木 杉の御神木

石燈篭