丹生神社

習志野市谷津1-23-3 (平成21年10月19日)

東経140度0分57.45秒、北緯35度40分53.64秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
此の神社は京成谷津駅の近くに在り、道路を挟んで京成の線路があります。近くにはラサーム条約登録地に登録された谷津干潟が在ります。神社にお寄りのせつは谷津干潟にも足を延ばしてください。途中には谷津バラ園が在り、入り口脇には「読売巨人発祥の地」の石碑が有ります。神社の周りの道を大正時代の地図と見比べてもほとんど変わりありません(細い道)。ここは静かで鳥のさえずりと、時々聞こえる踏み切りの警報とそこを通過する電車の音だけです。この辺、昔漁村だったんですね。海岸は現在埋め立てられて有りません。神社内に「漁業組合解散之碑」が有ります。

御祭神:丹生都比賣尊・伊弉冉尊
丹生神社由緒 此の神社は丹生神社と申しまして御祭神は丹生都比売神で和歌山県伊都郡かつらぎ町に鎮座しております丹生都比売神社の一宮(此の神社は四宮あります)の御祭神の御分霊を江戸時代の承応四年(西暦一六五四年)に勧請。このところに奉斎されております。以来此の神社を八津の守護神として先祖代々敬神の念篤く護り伝えられて今日に至っております。本社の丹生都比売神社は延喜式神名帳に「伊都郡丹生都比売神社」とあり名神大社で月次新嘗の奉幣に預っておりまして旧官幣大社でした。同社の社伝によれば十五代応神天皇が自ら丹生大神を祭ったといわれ、はじめ紀ノ川の水源地富貴(蕗)郷に鎮座しておりましたが弘法大師が高野山を開くに当たり、当社を地主神として伊都郡かつらぎ町の現在地に遷したといわれています。丹生都比売神は別名稚日女神と申しまして、天照大御神別名大日大神の御妹神とされておりまして無病息災縁結び、産業発展、交通安全、学業成就その他諸々の開運招福の神とされております。江戸時代の末頃より伊邪奈美尊が併祭されおります、伊邪奈美尊は夫神、伊邪奈岐尊と共に国土創生の神であり又緒神の親神様でもあります。現在の此の本殿は文化八年(一八一二年)の建立です。祭礼は十月十九日です。
宮司 金子勝美

神社入り口。右手は京成本線。

氏子の方々でしょうか

鳥居と社号標

参道、石段途中の狛犬。阿は蹲踞でなく立ち上がり、吽は構えとなっています。関東では珍しい姿勢の狛犬です。

拝殿と狛犬

拝殿内部

素朴な江戸流れ狛犬

本殿

本殿の彫刻

末社

石碑等

神楽殿

漁業組合解散之碑

1958年に発生した「本州製紙事件」。この事件は、東京都江戸川区にある本州製紙(現・王子製紙)江戸川工場が新型生産設備を稼動させ、パルプ精製の際に出た廃液を江戸川に流した結果、「黒い水」(廃液中に含まれていた大量のタンニンが海水と反応したために黒い色になった)が江戸川河口域の海を広範囲に汚染したことに端を発する。これに対し漁民は汚染の早い段階から抗議を行ってきたものの、本州製紙は行政による中止勧告を無視して操業を続け、ついに汚染に業を煮やした漁民が工場に乱入。機動隊と衝突して漁民から重軽傷者105人、逮捕者 8人、その他負傷者36人を出す大乱闘事件に発展した。
この事件の後、政府はいわゆる「水質二法」(「公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全法)」と「工場排水等の規制に関する法律(工場排水規制法)」)を制定したが、東京湾の漁業を取り巻く社会状況は経済成長とともに厳しさを増し(「本州製紙事件」で漁民のリーダーだった人物が浦安町長となり、「開発推進」に転向したこともあった)、1960年代に入ると、浦安漁業協同組合による漁業権の一部放棄と埋立事業の開始、1970年代には浦安漁協が漁業権を全面放棄し、1980年代には、旧江戸川河口から市川市境界までの埋立事業が完成する。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

谷津干潟

ラムサール条約に登録された干潟であるが、地図を見ると僅かに水路で東京湾に繋がっており、周りはすっかり住宅や工場等が立ち並んでいます。これでも自然と言えるのだろうか。

習志野市の委託により日本野鳥の会が運営している、谷津干潟自然観察センター。

自然観察センターより見る谷津干潟