古峯神社

鴨川市畑 (高鶴山山中) (平成18年9月23日)

東経140度2分7.38秒、北緯35度5分23.94秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
場所は山の南、東善寺側からの登山道を登っていくと、暫らくして峠状の分岐点に着き、左に鳥居がが見えますので更に竹藪の坂を100m程登れば神社です。
拝殿、本殿も無いので神社としては登録されて無いようです。

御神体 古峯神社なら日本武尊の可能性あり

マムシの多い山らしく、道を聞いた人にマムシが多いので注意してと言われましたが、案の定5匹のマムシと遭遇。水の山とも言われているのでカエルなど多く、それに釣られて蛇も多いのか?

石灯篭と狛犬と3体の石祠があり、古峰社、第五百壱番神風講社、峰松神などが並んでいます。更に古峯箇原神社の石碑だけ離れた位置に鎮座しています。
当日は風が強く木々の轟々と唸る音が不気味で、早くここを去りたい雰囲気でした。

管理人の一言。
ゼンリン電子地図で見ると「古峯ヶ原様」と書いてあります。恐らく地元での呼び名でしょう。
火防の神として知られている、栃木県鹿沼市草久の古峰神社の御分霊をお祀りしたものと思われます。修験道が禁止された明治時代になって古峰講、古峰ヶ原(こぶがはら)講といわれる信仰団体が、関東から東北地方に組織され、五穀豊穣、海上安全などが祈願されたようです。講の成立は江戸時代末期とされているが、はっきりしないと言われています。

『ウィキペディア(Wikipedia)』より
古峯(ふるみね)神社-もともと古峰ヶ原(こぶがはら)は修験者達の休息場だったらしい。その後天狗の社として関東・東北各地で信仰を集めるようになる。特に明治に入り1880年代以降、各地で開通する蒸気機関車が火の粉を撒き散らすようになったが当時の民家は茅葺きであるため火の粉に弱く、羽扇を持つ天狗が火防(ひぶせ)の霊験大として信仰を急速に集めるようになった。栃木でも1890年(明治23年)に日本鉄道日光支線(現JR日光線)が開通すると、一層盛んになった。関東・東北の各集落に「古峯講中」「こぶがはら講」が存在し、 村の代表が代参して、奉納された多数の天狗の面や額に見守られながら、お籠もりをする。一の鳥居は銅製としては日本最大の大きさを誇る。

古峯神社入り口

明治生まれの石灯篭

月山詣で石碑。やけに彫りに凝った作りの石碑です。

狛犬と石祠

可愛い顔をした江戸流れ狛犬です。

千葉では殆んど見かけない石祠が並んでいます。

磐座のつもり岩

南房総の寺や神社でたまに見る岩で、沼サンゴを穿孔貝が穴を開けた可能性がある岩です。大きさは高さ50cm程で以前江見の寺で見た岩(2m程度)よりは小さいですが、形などは似ています。恐らく磐座のつもりで置いたと思うのですが、神社の場合はこんな岩のある所に神社を建てていることが多く、余り持ってきて置く例は少ないと思います。