鴨川市西町 (平成23年2月13日)
東経140度07分00.81秒、北緯35度07分35.96秒に鎮座。
この神社は、鴨川シーワールドの北2km程の辺り、西町の北外れ、山沿いに鎮座しております。「庤」と云う見慣れない文字が使われております。我が愚妻共々「痔」と勘違いをしておりました。
「庤」かんだち 《「かむだち」 とも表記》1 社殿の近くに設けて、神官などが神事や潔斎のときにこもって物忌みをする建物。斎館(いみだち)。2 (「庤」 「神庤」 とも書く)伊勢神宮所属の諸国の神戸(かんべ)の御厨(みくりや)。 ...大辞泉
「かんだち」と読むのが一般的なようです。何故この地では「もうけ」と読むかは判りません。
嘗てこの地は東条御厨と呼ばれ、伊勢神宮の荘園だったようです。東条郷の中心が「東条庤」 でした。しかし天津神明宮も「庤大神」 を祀り、どちらが「東条庤」 かは、特定出来ないようです。
創立年代は不詳であるが、往古の勧請であるという。治承4(1180) 年源頼朝が逃れて、当社に平家追討の祈願をこめられ、後に所願成就したので、この地を伊勢神宮に寄進し御厨の地としたと伝える。また一説には源頼朝がこの地を滝口神社の御厨料として寄進され、その後の社殿を建てて滝口庤神社と称したともいわれる。明治初年村社に列す。
ご祭神:天大日孁貴命(アメノオオヒルメムチノミコト) 天日和志命(アメノヒワシノミコト)
かもがわナビ より
平成26年10月「狛犬小僧」さんよりメールを戴きました。
鴨川市西町の庤神社の意味が分かりましたので、報告いたします。出典は千葉県神社庁「房総の伊勢信仰」で、やはり地域振興で「もうかった」に由来するそうです。
庤明神のナゾ
源頼朝によって天津神明神社が建てられる以前には、前述したように、庤明神の祠があったと言われる。祠の起源は不詳で、神代のむかしよりあったとされている。祠には現在も主祭神の一柱である八重事代主神がまつられていた。八重事代主神は大国主神の子にあたる神で、エビス神と同一の神とも言われている。
八重事代主神は国譲りの後、事勝国勝長狭命を誘い、はるばるこの地にやってきて長い間滞在されたところ、地域がたいへんに潤ったため、人々は八重事代主神のおかげと喜び感謝して、「思いもよらぬもうけかな」と八重事代主神を庤明神として敬いまつったと言われている。これが庤明神の祠の始まりである。・・・・・
原文はこちら。
御神徳に感謝する時「儲け」と思うだろうか?。いささか強引な。伊勢神宮の神庤(かんだち)は各地にあったようだが、「もうけ」と読むのはここだけのようだし??
参道入口
社号標と鳥居 | |
境内
境内入口の素朴な狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
拝殿
拝殿内部
本殿覆屋
石祠
御神木
東条御厨跡の標柱