神明社

市川市本行徳1-10 (平成22年3月11日)

東経139度55分21.99秒、北緯35度41分34.28秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
東西線妙典駅より旧江戸川方面へ約600mの所、行徳街道に面して川側にあります。社殿も末社も新しいようできれいでした。

本行徳に神明神社が2社あり、千葉県神社庁は2社混同しています。

御祭神 豊受大神

行徳神明(豊受)神社
本社の起りについては、金海法印という山伏が、伊勢内宮の土砂を中洲(江戸川区東篠崎町辺り)の地に運び、内外両皇大神宮を勧請して神明社を建立したのに始まるといいます。
金海法印は土地の開発と、人々の教科に努め、徳が高く行いが正しかったところから、多くの人々に「行徳さま」と崇め敬われといいます。
この「行徳さま」がやがて行徳の地名になったというのですが、金海法印が行徳を訪れたのは大永七年(1527)のことといい、また天文十一年(1542)のこととも、慶長十九年(1614)のこともいわれています。
中洲に建てられた神明社が、現在の地に遷座したのは寛永十二年(1635)のことで、葛飾誌略という本には、「中洲に在る時は小祠也。寛永十二乙亥大社に造立。その造立の節は十五ヶ村より寄進有りといふ。本願主田中嘉左衛門。元文二丁巳年とも、享保元申年とも田中三左衛門催しにて、祭礼に始め屋台を出す。町内も此の時四丁に分る。新田とも屋台五つ、新宿春祭りとして屋台以上六つ也。」とあって、屋台の出る賑やかな祭りの様子が伺われます。
現在、三年一度の祭礼には、神輿渡御の行事が行われ、氏子の面々が町内を練廻りますが、その勇壮な揉み方に特色が有り、揉み方保存会がその継承に当たっています。
なお本社の境内には金刀比羅社、道祖社、水神社、稲荷社の四社が祀られています。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社入り口

豊受大神宮。伊勢神宮の二つの正宮のうちの一つで、一般には「外宮(げくう)」と呼ばれる。主祭神は豊受大御神。

江戸時代、伊勢神宮と呼ばれた神社は明治になり、畏れ多いと云うことで、神明神社とか、御祖神社と名称を替えさせられたのですが、額の文字はどうでも良かったのでしょうか。額そのものは新しそうですが、文字はそのままと思われます。

由緒書には、内外両皇大神宮を勧請して・・・・・とありますが、内宮の「天照大御神」は何処へいったのでしょうか。

残念ながら年代は読めなかったようです。幕末から明治始め頃でしょうか。江戸流れの名品と見ました。拡大写真はこちら。

拝殿

神額と本殿

金比羅神社、水神社、道祖社

燈籠の台座に遊ぶ狛犬達

拝殿前の石灯籠は基礎に比べ竿の部分が新しく見えます。1948さんは竿に彫られた「文政」年代を疑っているようです。
(文政2年(1819)己卯9月吉日建立)

力石

206キロは確かに凄いですが、上があります。桶川の稲荷神社の力石はなんと610キロ!

御神木