千葉市花見川区畑町2093 (平成21年11月4日)
東経140度4分37.79秒、北緯35度39分54.08秒に鎮座。
【神社情報・1948さんより】
此の神社は下総三山の七年祭り参加神社の一社で有り、台地の上にあります。その台地を抉る様に京葉道路が通り、京葉道路には子安参道橋が架けられています。この橋の先に鳥居があります。鳥居を潜ると右側に石碑、境内社、神楽殿、神輿庫、手水舎が整然と並びます。拝殿の前の社務所へ通じる左の道と反対の道を行くと、社殿の横を通る細い道になります。
この道の脇にも境内社が整然と並び、本殿の裏の子安古墳へと通じています。
御由緒
桓武天皇の延暦年間に、この周辺を支配する豪族によって作られた子安古墳のお山を御神体とし、五穀豊穣の神として創立される。
60代後醍醐天皇延喜年間櫛稲田姫命を祀り子安大明神となる。
千葉之介常胤公の信仰厚く、建久4年奥方懐胎のとき安産祈願したところ男子を安産なされ、その御礼に社殿を造営(建久4年9月17日の棟札あり)し、大祭典を行った。こる
が7年毎の式年大祭の始である。
鳥居と社号標
参道途中の江戸流れ。阿吽が無く怖そうな顔つきです。
拝殿
本殿
稲荷大明神
妙見宮
金比羅 | 子宝地蔵 |
その他の末社
石碑
神輿庫
手水舎
子安古墳