子守神社

千葉市花見川区幕張町2-990 (平成21年8月30日)

東経140度03分09.30秒、北緯35度39分38.81秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
この神社は下総三山の七年祭り参加神社の一社で有り、こまもりじんじゃと読みます。幕張本郷駅と幕張駅の中間辺り、線路の南西側、住宅地の中に鎮座しております。建久五年(1194)千葉常胤の四男、大須賀四郎胤信によって創建されたと伝えられ、古くは素加大王神社とも称されたようです。奇稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴尊を祀るこの神社は。宝幢寺の南方埋立以前の海浜にあって、武石町の三代王神社・畑町の子安神社とともに、七年目毎に行なわれる磯出祭で知られているようです。

子守神社と七年祭に関して
その1
幕張の子守神社はかつて素加天王神社といいましたが、「下総国千葉郡清地庄本郷素加天王神社」によると、1445(文安2)年に、下総国馬加城(まくわりじょう)の城主千葉康胤(やすたね)(平康胤)の妻が妊娠十一か月になっても出産の気配がなかったので、素加天王神主と宮山(三山)神主に安産の加持祈祷を命じたところ、満願の夜に両社の神が磯辺に移って奉斎すれば安産になるという神託がありました。

九月十六日に神輿を素加の磯辺に移して祭事を行うと、海中から龍灯が上がって、素加神社(子守神社)へ飛来し、翌十七日に安産で男子が誕生しました。これによって領地の村々に触れて本郷素加の磯辺で安産の賽祭を行うようになったとあります
また「素加天王社(すがてんのうしゃ)伝記」によると、276年前の享保12(1727)年からは丑・未年に行われるようになり、七年祭と称されています。
まず安産祈願御礼の祭事が二宮神社で行われ、その日の夜半から翌未明にかけて安産祈願の磯出祭を行うので「三山の祭は後が先」と言い囃されています。

その2
時は室町、文安2年(1445年)。現在の幕張の地を治めていた千葉康胤(ちばやすたね)の奥方は11ヵ月間もの間、子どもを身籠っておりました。康胤、家臣ともに心痛していたところ、ある夜奥方の枕元へ武石明神社(三代王神社)が現われ、「我は安産の守護神なり」と告げらたのです。
そうして早速康胤は、二宮神社・子安神社・武石明神社・子守神社の神主を呼び寄せ、幕張の磯辺で安産祈願の式を行ったそう。大いに喜んだ康胤や家臣たちは、その日を境にお祭りを始めたのだそうです。
そして毎年開かれていたお祭りも、8代将軍徳川吉宗のころ、享保12年(1727年)より収穫の多い、丑年、未年に行われるようになりました。
今年の11月21日 勢揃い
11月22日 三山まつり
11月23日 磯出式
11月24日 町内花流し

平成23年12月28日、「狛犬小僧」さんが参拝され、追加情報を戴きました。後に追加しました。

神社入り口に立つ一の鳥居

境内。やはり子供づれの参拝者が多いのでしょうか。

岡崎形狛犬

拝殿

覆屋のガラス越しに見る本殿

境内。左手は社務所。右手は神輿倉かと思われます。

厳島神社

手水舎


以下「狛犬小僧」さんより、お送り戴いた写真と文です。

近くの堂の山に馬加康胤の首塚を見学した帰りに近かったので立ち寄ってみました。年末だった為、あちらこちらに子守神社の道案内板があって、簡単に到着。この神社は既に1948さんが訪問済みですが、狛犬の不足分と年末の雰囲気を感じ取れれば幸いと思います。

神社案内板。初詣は幕張地区総鎮守「子守神社」とあります。

鳥居

露店など

正月用の飾りを売っている露店で、結構お買い得な値段でした。中央区や若葉区ではサン俵(所によりセン俵)は見かけないですね。手前の丸い物です。

正月用の藁細工 年神様の配布。幕張や八千代市などでは、
年神様の配布をしているようです。八千代市で以前確認。

拝殿

左右の木鼻

手水舎の龍

厳島神社を守る江戸流れ狛犬

稲荷神社

やや損傷が目立ちますが複雑な文様のユニークな狛犬です。

稲荷神社拝殿

大黒様

天神社

石碑

すっかりと葉の落ちたイチョウの御神木。