登渡神社

千葉市中央区登戸3-3-8(平成20年11月15日)

東経140度6分34.5秒、北緯35度36分32.23秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
場所は京成新千葉駅から東京より二つ目の踏み切りと交差している道路を、海側へ100m程坂を下れば右側にあります。

登渡神社(とわたり神社)は江戸時代は結構有名な神社だったそうで、葛飾北斎の富岳三十六景の中に登戸浦として登場してるそうです。
昭和の30年代前半頃までは、この辺りは神社の鳥居の前が道路を隔てて直ぐ海でしたので、余り北斎の絵と変わらない風景であったと思われます。

御祭神
天御中主神 高皇産霊命 神皇産霊命 天日鷲命

由緒
 この神社は白蛇山真光院定胤寺と称し正保元年(1644年)千葉家の末孫登戸権介平胤が祖先追善のため千葉妙見寺の末寺として建立したといわれ又の名を登戸妙見寺と号し別殿に妙見大菩薩を奉祀し真光院別当としていた。
 そして明治初年の神仏分離令によって新たに祭神を天御中主神に改め別当寺を廃しその堂宇を社務所とした。また今の本殿は安政年間(1854〜1859年)の改築で材料は近郷の信徒より五百両ほど募り葛飾郡八木村の大工紋次郎を統領として完成した。
(以上由緒は千葉市の案内板による)

管理人の一言
葛飾北斎の「北斎」は「北斎辰政」の略称で、これは北極星および北斗七星を神格化した日蓮宗系の北辰妙見菩薩信仰にちなんでいるようです。きっと北斎自身がここで参拝したと思います。

平成23年1月4日1948さんよりメールを戴きました。
すでに「狛犬小僧」さんが報告した神社なので、しかし彫刻に触れていますのでお送りしました。十二支のうち巳がありません(見えません?)。一面×3で12、たぶん社額の裏ではないか?。十二支の拡大写真はこちら。

富岳三十六景・登戸浦

通称は地名の登戸(のぶと)神社と呼ばれるようです。

神社入り口

参道と手水舎

拝殿

拝殿前の江戸狛犬。拡大写真はこちら。

(宝暦9年(1759)9月建立)

拝殿正面

本殿

本殿彫刻(小壁嵌板彫刻)千葉市文化財
本殿彫刻は信州諏訪の名工立川和四郎富昌などが関与していたと考えられ、立川流の技法の特色が認められます。
長野を中心とした立川流の作品分布では、登渡神社の作品が最も東方に残されたものです。
(以上は千葉市教育委員会案内板による)。1948さんより戴いた十二支の拡大写真はこちら。

正面の彫刻 獏と狛犬
浅間神社と古峰社 大師堂
稲荷神社 水神社
石仏など
多分清瀧丸とゆう船の船長か船主が船の安全を
期して奉納した石だと思います。この辺は海に近
かったので、稲毛の浅間神社にも錨などが奉納
されています。
この御神水は皇太子御成婚を記念
して作られた物だそうです。

御神木