千葉神社

千葉市中央区院内1-16-1(平成20年3月1日)

東経140度07分37.10秒、北緯35度36分31.10秒に鎮座。

この神社は、JR総武本線・東千葉駅の南600m程の辺りに鎮座しております。千葉市内で一番有名な神社と思われますので、道に迷うことはないでしょう。しかし駐車場はなく近くの有料駐車場を利用しなければなりません。

桓武平氏の末裔と言われる千葉氏。その千葉氏が深く帰依した、妙見菩薩を本尊とする寺院(千葉妙見宮)として建立された寺院が元になっています。千葉氏の祖平忠常の子覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝えられ、以降千葉宗家のみならず千葉氏一族の信仰が篤く、千葉氏宗家の元服は代々この寺で行われた、と言われています。

江戸時代は佐倉藩領だったこの辺りは「北斗山金剛授寺尊光院」(現在の千葉神社)の門前町であった。多分房総一帯に良く見かける静かな港町だったと思われます。明治6年(1873)、木更津県と印旛県が廃止され千葉県が誕生、両県の境である千葉郡千葉町に県庁が設置されたことから、その後千葉県最大と都市となったようです。その後、海岸を埋め立て、現在の広大な市域が成立した。しかし、戦前、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所などの軍施設が集中する軍都として発展した為、先の大戦時米軍の爆撃により灰燼に帰したようです。

しかし、敗戦の昭和20(1945)年8月15日の翌日も神社の祭りは、休むことなく行われ、千葉、復興の先駆けとして神輿が練り歩いたそうです。

しかも、嬉しい事に戦前の狛犬が無事残っているようです。そんな情報があり今回の参拝となりました。

千葉神社の神様
妙見尊星王の特殊な信仰について
人間の運命と方位を掌握する厄除開運・八方除の神様

 千葉神社の神様・北辰妙見尊星王(天之御中主大神)は、その御神名の通り天の中央を定位とする北辰、すなわち北極星と北斗七星の神霊であるとされております。
 古来よりいずれの国においても、日月や星を仰いで、宗教的な感情を抱かぬ民族はありません。
特に、星の中でも北極星は、最も神秘尊厳そのもので、方位・方角の要ともなりましたので、これを神格化して妙見尊(妙見様)と称してまいりました。
 その霊験あらたかな御神徳は宇宙に普くゆきわたり、星霊信仰の御本尊として、日・月・星の三光すなわち全宇宙の諸星諸神を統治する尊星王と讃称されております。

 このことから、妙見尊は人間の星(運命)や全方位を守護・掌握する神霊として信仰され、道教・陰陽道や易学・九星気学・風水学の根幹となる特殊神として、あらゆる守護能力を発揮すると伝えられております。
 従って、全国各地の善男善女が、運気の好転や向上・維持、方災の回避や解除を願って、御祈祷を受けられておられます。殊に善星皆来・悪星退散の御神力を願う「八方ふさがり年」や星厄等悪い巡りに当たる人々、日本古来の厄年に当たる人々が、「厄除祓」を受けて行かれます。
 また、方位が生ずる建築や移転の際には、この妙見尊の御神力をいただく「八方除」祈祷を受けてから事にあたることが、昔より最良の方法と考えられております。

 さらに、先の特殊性により、プロの易占家の人たちが、自身の開運と隆盛を願って昇殿されるばかりでなく、これら易占家の鑑定を受けた多くの人々が、御加護を願い三年間続けて御祈祷を受けておられます。
 このように、千葉神社が妙見尊独特の御神徳に基づく「厄除開運」「八方除」の神社であり、その歴史性からこの信仰の全国の頂点に立つ神社であることから、「妙見本宮」「千葉大妙見」と呼称されております。
境内由緒書 より。

神門。ここでは、「尊星殿」と言うようです。前は通町公園。・・・と書いたところ・・・

平成25年10月14日、来戸さんよりメールを戴きました。神門は誤りだと言うことです。改めて調べると、「楼門型の分霊社「尊星殿」です。これは神社建築では類例のない楼門と社殿の複合建築物です。」と千葉神社公式サイトに書いてあります。単なる「門」ではなかったようで、大変失礼致しました。お送り戴いた写真を追加して再構成します。

尊星殿、上階「開運殿」・下「福徳殿」

福徳殿

坎宮(かんきゅう)子 艮宮(ごんきゅう)寅・牛
震宮(しんきゅう)卯 巽宮(そんきゅう)辰・巳
離宮(りきゅう)午 坤宮(こんきゅう)未・申
兌宮(だきゅう)酉 乾宮(けんきゅう)戌・亥
月天楼
日天楼

尊星殿前の狛犬。平成の作ですが良い出来です。狛犬文化もまもってゆけるでしょう。拡大写真はこちら。

製作・青木三四郎 (平成11年(1999)8月吉日建立)

門を潜ると正面に二階建ての拝殿。拡大写真はこちら。

手水舎 手水石・寳暦五乙亥歳(1755)五月吉日

社額「妙見」

二階の拝殿 一階の拝殿
社紋、九曜紋(十曜紋) 神紋、三光紋(月星紋)
中央の大きな星の周りに九つの小さな星が配されている紋で、正式には社紋・九曜紋(くようもん)という名称ですが、 一般には全て数えると星が十あることから十曜紋とも呼称されます。
この紋の意味するところは、中央の北極星(つまりは妙見様)が差配される星々を現していると言われ、 九つの星の意味には三つの説があると言われます。
第一の説は、古代の代表的な天体であった太陽・月・北斗七星の九つの星とする説。
第二の説は、日曜星・月曜星・火曜星・水曜星・木曜星・金曜星・土曜星・計都星(けいとせい)・羅喉星(らごうせい) という易学で分類される九つの星とする説。
第三の説は、九星気学での人間の運命星(一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星) の九つの星とする説です。
三光紋(月星紋)の分解図
太陽
この紋の意味するところは、北極星(つまりは妙見様)の差配される星々の中で大きな力を持った太陽と月、そしてその他の諸星を示した日・月・星の三つの光を現した紋であり、外輪部だけを見れば「太陽」となり、右下部分だけ見れば「三日月」となり、月を隠せば左上の「星」が残ります。

本殿

境内左手に末社が並んでいます。その手前の神橋と鳥居。

若干の損傷が見られます。大正時代にしては古いスタイルです。モデルとなった先代様がいたのでしょうか。拡大写真はこちら。

(大正4年(1915)11月建立)

妙見池の対岸に並ぶ末社。

妙見池

御嶽神社

左より、神明・三峯・日枝・天神・八幡さま。

並ぶ末社

西之宮神社(えびすさま)
金刀比羅宮(金ぴらさま)
金ぴらさまの前にいる愛嬌者の狛犬。拡大写真はこちら。
稲荷神社(稲荷さま)
星神社(星神さま)
姥神社(姥神さま)
姥神さまを守護している狛犬。拡大写真こちら。
厳島神社

陰陽五行説では北の守護霊獣は玄武。妙見菩薩は玄武に乗って現れるようです。

延寿の井

東側入口

鳥居と社号標

東側入口に立つ獅子山。御大禮記念とあります。昭和3年11月10日、昭和天皇即位を祝い奉納されたようです。激しい空爆の中、良く無傷で生き残ったと思います。拡大写真はこちら。

(昭和4年(1929)5月建立)

西側入口 その裏側

御朱印