玉崎神社

旭市飯岡2126-1 (平成23年4月6日)

東経140度43分47.75秒、北緯35度41分39.64秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
飯岡漁港の北西、海岸から300m程度の距離にあります。この神社も海に近いのだが、石灯篭以外はこれと言った損害は無さそうでした。旭市では鎌数伊勢大神宮と並び由緒ある神社です。

由緒
景行天皇40年日本武尊が東征の折、海上安穏、夷賊鎮定のため竜王岬に創祀。天文2年の兵火の岬の欠損にあい現在地に遷座、玉ヶ崎大明神と称す。享保14 年大漁神験顕著を以て正1位神階。明治現在名。同6年郷社。同39年幣帛供進神社。本殿は元禄10年の改修で、昭和48県文化財に、同58年規範神社の指定を受ける。浪切旗、義家戦q祈念宝剣、陶磁狛犬等の神宝あり。霊樹夫婦木、子産石等縁結・厄除け・子育ての神験あるを平田篤胤が詠じ歌碑とす。将軍吉宗筆正1位神領、飛竜彫刻等神徳を顕す文化財が多い。
(神社の広場 神社探検隊 より抜粋)

祭神は玉依姫命と日本武尊である。社伝によると、景行天皇紀の四十年(111)、日本武尊が東征の際、玉の浦の東端、玉が崎に創祀された。中世には下総国二宮とも称され、龍王崎の地にあったが、天文年間に兵火に遭い、積年の海蝕を避け、現在地に移したと伝えられている。
上総国一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏、久留里藩主黒田氏や国学者の平田篤胤、大國隆正が参拝しており、近年には、画家竹久夢二のほか、漁業関係者など多くの信仰を集めている。・・・・
(以上 玉崎神社案内板により抜粋)

一の鳥居

案内の看板と社号標

二の鳥居

参道

石灯篭

倒壊した石灯篭

手水石

狛犬と拝殿

拝殿前の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(明治9年(1876)6月吉日建立)

拝殿の彫刻

神額

本殿

厳島神社

忠魂社

大漁稲荷神社

三峯神社

八重垣神社

御神木

旭市指定文化財 玉崎神社の石塁(石垣)
この石塁は、十七世紀中期の築造と推定され、飯岡石(凝灰質砂岩)造成されている。この石は、海中より産出されたもので、飯岡の寄石といって明神様の御利益によるものと考えられていた。当市としては、貴重な記念物です。
すめ神の 古く伝わる ためしにや 玉よる御名を かねてよる石
平田篤胤

本殿、拝殿が石塁で囲まれているようです。また、嘗ては明神様と呼ばれていたようです。

平田篤胤歌碑
磐楠に 常磐の松の より副ひて 千世を契りし ことの畏さ

飯岡助五郎之碑。清水の次郎長と並び、飯岡の助五郎は地元では有名人ですね。飯岡の助五郎は地元では網元で、博徒の親分だったそうです。

慰霊塔

久夢二記念碑

旭市指定文化財 天の石笛
この石笛は、享保三年(1718)頃、漁師の網にかかり奉納されたもので、石質は飯岡石(凝灰質砂岩)です。頭部に直径三十cm深さ四十cmの溝穴があり、側面にも穴があって、風が吹き込み、妙音がした。漁師は、この音によって出漁を占い、霊石として祭祀されています。

神社前の案内板

飯岡漁港