大間稲荷神社

下北郡大間町大間 (平成21年9月23日)

東経140度54分41.01秒、北緯41度31分32秒に鎮座。

【神社情報・gamanさんより】
この神社は本州最北端から2番目の神社だと思われます。(笑)。
ここは大間の街中をさまよっているうちにたどり着いた神社なので、場所がいまいちよくわかりません。地図を参照してください。

由緒書きによると、神社神歌という歌があるそうです。神社にも歌があるんですね。
狛犬は台座に何やら文字が掘ってありますが、読めませんでした。年号不明です。
高台にあり、こじんまりした気持ちの良い神社でした。

御祭神 稲荷大神
例祭日 八月十日
由緒
明治六年五月二十三日村社に列格。享保十五年七月、新田市左衛門の勧請により、百々滝稲荷大明神として崇敬驚く、明治六年拝殿を修築し、同六年五月、社寺調査により村社に列せられ、大正十三年六月十三日付をもって、神饌幣帛料供進神社となる。昭和二十一年六月十四日付をもって、宗教法人令に適用され、神社庁に届出する。国有境内地を有償払で許可される。
青森県神社庁公式サイトより。

大間稲荷神社の由来
百滝稲荷大明神と称し、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祭神とし八月十日を例祭日とする。享保十五年(1730)七月能登屋市左衛門が勧請御輿渡御の始まりは寛政九年(1797)で荘厳を極めたと伝えられる。明治六年(1873)天妃媽祖大権現、金毘羅大権現を合祀、現在は弁天神(奥津島姫尊)も合祀している。
明治十六年(1883)現在地に移転、再建。明治四十一年(1908)屋根の形を改修現在に至っている。
天妃の神は中国の道教の神で、元禄九年(1697)七月二十三日、後に名主(村長)となった伊藤五左衛門が海上での危難を助けられた神徳を崇め水戸領那珂湊より遷座したもので、船魂神として氏子の崇敬を集めて来たものである。
境内由緒書より。全文はこちら。  那珂湊・天妃山媽祖権現(現北茨城市・弟橘媛神社)はこちら。

神社遠景

神社入り口と一の鳥居

境内

年号不明の狛犬。かなり恐ろしげな顔つきです。拡大写真はこちら。

拝殿

向拝下の龍と木鼻の狛犬

境内の様子