八坂神社

弘前市銅屋町80 (平成21年7月22日)

東経140度28分18.29秒、北緯40度35分39.48秒に鎮座。

この神社は、弘前城の南側、弘前高校のすぐ北隣のやや高台に鎮座しております。神社のすぐ南隣は五重塔で有名な最勝院となっています。塀で仕切られていますが、どう見ても同一敷地内に見えます。しかし青森県神社庁にも記載のある独立した神社のようです。

御祭神 須佐之男命・奇稲田姫命・草野姫命・菅原道真公
例祭日 旧六月十四日
由緒
当社はもともと大円寺別院、牛頭天王と称し、旧津軽藩公代々藩主が悪疫封滅の祈願所として尊崇篤かった。明治四年八坂神社と改称される。八坂神社の社号に転じ、大円寺別当増田精一が社人として奉仕せられた。明治四年社殿を御造営 (氏子中一同)
昭和二十一年九月二十四日社務所番人の失火により全社殿を焼失せり、昭和二十四年本殿、拝殿を造営し、昭和二十五年社務所を新築現在に至る。銅屋町・桶屋町・鍛治町・新鍛治町・北川端町・南川端町、六ケ町会を氏子として、六ケ町産土神として敬神されている。
青森県神社庁公式サイトより。

江戸時代は大円寺別院、牛頭天王社だったようです。天王の名称が明治政府の気に障ったのでしょうか。京都の祇園社等と同様に、名称を変えられ、御祭神も牛頭天王とその妻、頗梨采女から須佐之男命と奇稲田姫命に取り替えられています。元々この地にあった大圓寺は大鰐町にあり、当時無住だった高伯寺に、移転させられたと、言って良いのでしょうか。

最勝院は現在地より北に3キロメートルほど離れた田町にあり、弘前八幡宮の別当寺とされ、12か寺の塔頭寺院を従え藩の永世祈願所となっているだけでなく、近世には僧録所として、津軽藩領内の寺社を統轄する立場にあったと言われています。

北側の神社入り口

八坂神社と書かれた額の架かる一の鳥居

参道。無理やり境内を分けた為か、直角に曲がっています。左手の塀の向こうは最勝院。

境内

ブロンズにしては珍しく太めな狛犬。しかしなかなかの出来栄えです。良く供出させられなかったと思います。拡大写真はこちら。

(昭和11年(1936)7月建立)

拝殿

本殿

御神馬 魚鳥供養塚

御神木

最勝院の五重塔

最勝院山門

最勝院の護摩堂は、旧大圓寺の本堂で、本尊は牛頭天王。大圓寺の本尊は大日如来だったので、牛頭天王社より遷されたものと思われます。