乳井神社

弘前市乳井外ノ沢 (平成21年7月22日)

東経140度34分14.80秒、北緯40度32分51.40秒に鎮座。

この神社は、東北自動車道・大鰐弘前ICの北東1km程の辺り、乳井の町はずれに豊かな杜を背に鎮座しております。嘗て乳井毘沙門宮と呼ばれ、尾上町(現平川市)猿賀神社の別当をしていた由緒ある寺院で現在も社殿が弘前市指定文化財となっております。読み方は不明ですが地名に合わせ「にゅうい」としておきます。

御祭神:武甕槌命・経津主命・天手力男命
例祭日:八月三日
由緒
当社は、往古、坂上田村麻呂将軍の勧請を受け、津軽の国に七社を建立し、その中の武器を納めた一社と云われ、創建は承暦二年 (一〇七八年) と伝えられる。明治四年の廃藩置県に至るまで、津軽藩の直願所とし社領八石五斗を賜る。同年太政官布告を以て神仏混淆の禁止を受け、仁王門、梵鐘などを撤去、毘沙門宮 (嘉承山福王寺大福院) の号を乳井神社と改め明治六年郷社となる。現拝殿(旧毘沙門堂)は、津軽三代国主土佐の守藤原朝臣信義公の心願にて造営を企てられ、およそ三百年前の康永二年 (一三四三年) 四月の天変災火により焼失した社殿を古礎の通り明暦元年(一六五五年)八月再興したもので、平成十年十一月弘前市文化財に指定される。
青森県神社庁公式サイトより。

乳井神社の前身は、坂上田村麻呂が悪鬼征伐の際に毘沙門天を祀ったとの伝説をもち、古くからこの地勢力を持っていた福王寺であり、創建は永暦二年(1078)といわれる。現在の社殿は、明暦元年(1655)に三代藩主津軽信義の再建によるものだが、正面・側面とも五間の一室を内・外陣に区切り、明治四年の神仏分離まで毘沙門天を安置していた。
弘前市教育委員会。全文はこちら。

参道入り口に立つ一の鳥居と社号標

二の鳥居

三の鳥居

豪華な津軽風注連縄

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和7年(1932)建立)

龍が彫られた灯籠

参道

参道途中の末社と忠魂碑

拝殿(旧毘沙門堂)と狛犬

拝殿前の狛犬。鬣のカールや体等線が丸く優しそうな狛犬です。拡大写真はこちら。

(石工:斉藤安太良 明治17年(1884)6月3日建立)

拝殿に掛かる注連縄

本殿

末社・戸隠神社の鳥居と社号標

戸隠神社社殿と狛犬

戸隠神社を守る狛犬。拡大写真はこちら。

(明治42年(1909)3月3日建立)

境内の末社

二十三夜・庚申塚