高梨神社

大仙市払田真山35 (平成26年6月8日)

東経140度32分43.85秒、北緯39度27分58.07秒に鎮座。

この神社は、奥羽本線・大曲駅の東6km程の辺り、史跡「払田柵跡」。その東側に連なる真山公園、その天辺に鎮座しております。

御祭神天照皇大神・邇々杵尊・応神天皇・素盞嗚命・瀛津島比売命・大国主神・猿田彦神・天児屋根命・木華咲耶姫命・豊受大神・経津主神・武甕槌神・少彦名神・天手力雄命・大宮比売命・比売神

由緒
高梨神社は高梨村を構成した旧村上野田、橋本、払田、高梨、戸地谷の5ヶ所内神社を、当時県の方針のもとに合祀、大正5年10月社殿落成合祀祭を斎行した。明治44年戸地谷内9社が率先、一旦神明社へ合併。大正4年旧高梨内2社、橋本内4社、上野田、払田各1社、合計18社を合併、社名も村名を用い、町村合併民心一統、農村高梨繁栄への精神的挙村態勢をはかった。勿論各神社にはそれぞれの由緒があって信仰奉斎されていた事だが、その祭神数は前記十六柱で、これを平田篤胤の神系図によって見るに、天照大神を中心に古事記神代の神々十五柱、そして応神天皇に至っていた。応神朝は中国文化の最も伝流され日本文化が華開こうとする時の帝。新高梨村が挙村繁栄を祈っての合祀が、祭神各柱の御神徳と全く一致していることは不思議な因縁があった。各社の由緒は遠い昔のこと故にか、真澄の遊覧記に由緒採録されたもの3社にて、社名、祭日、斎主を録せるは数社これを見るも、未だその由緒の知れぬは残念である。だが一方1里に満たない近隣稲作農村民の祈願の内を知ることが出来るようである。
秋田県神社庁公式サイト より。

参道入口と一の鳥居

参道

境内入口と二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿

向拝の龍虎と木鼻の狛犬。名工・円満造翁(えまぞうおう)38歳の作。

石仏等

日清・日露戦役記念碑

記念碑を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(明治42年(1909)太陽暦4月8日建立)

池田文太郎は1955年迄あった「高梨村」二代目村長。ここで神社名称の由来を納得!。東北三大地主(他は山形県酒田市の本間氏・宮城県石巻市の齋藤氏)と言われる池田氏。耕地1046町歩を所有し、池田家の最盛期を築かれた方のようです。又、文太郎の弟禮冶が分家した際の邸宅と庭園が旧池田氏庭園(払田分家)となります。

真山の大杉

石神。俗称酒のみ石。

酒のみ石の広場より見る下界。