勝平日吉神社

秋田市新屋松美町 (平成18年7月27日)

秋田市老人クラブ連合会の車!何とかして欲しい。会合でもしているのでしょうか。

秋田藩初代藩主佐竹義宣の歌に「勝平や 冨士山かけて太平も 我が世と築く槍留めの城」。太平は秋田市の最高峰太平山。伝説では久保田築城の折、場所決めのために勝平山から矢が放たれたとされており、それが落ちたところが神明山、現在の千秋公園だったとされている。

この由緒書きに登場する、栗田定之丞は栗田神社に祀られています。雄物川河口のこの地を農地にするため営々とした努力が必要だったようです。

奈良時代の大地震で日吉神社が新屋に移転して以来、長く無人の砂丘であったが、昭和初頭の雄物川放水路の開通によって住民の移住が始まり、「新開地」が建設された。その後も「松美ヶ丘開拓」などによって農地化、住宅地化が進み、昭和40年代以降、急速な発展を遂げた。現在も秋田市の近郊ベッドタウンとして旧防風林の宅地化が進んでいる。雄物川、秋田運河、日本海に囲まれ、島をなしている。『ウィキペディア(Wikipedia)』より。