糟目犬頭神社

岡崎市宮地町字馬場31(平成18年11月23日)

 この神社はJR東海道本線・岡崎駅の西約900mの宮地町中央辺りに鎮座していますが、地図に記載は有りません。長い参道の奥に静かに鎮座する式内の古社ですが、市内最古の越前式鳥居や笏谷産狛犬、唐猫(見られません)等の石造文化財や新田義貞の首塚など歴史的な見所満載の神社でもあります。

 御祭神:彦火火出見尊、伊弉諾尊、伊弉册尊、素盞嗚命、犬頭靈神 合神:豐受姫命
 由緒:大宝元年(701) 隣村の上和田村西糟目森崎の地に彦火火出尊を奉斎し「糟目神社」と称したのが創建とされている延喜式内社です。永延元年(987)には紀州熊野 三所大権現を合祀したと伝えられています。時代は解りませんが度々の矢作川の洪水のために現在地に遷座されたという事です。足利尊氏や徳川家康、また歴代城主からも篤く保護されていたようです。
 祭礼 :9月15日例祭
 犬頭神社の由来となった「犬頭伝説」とは
 「上和田の城主・宇都宮泰藤が、鷹狩の道すがら大杉の下で休んでいるうちに、ついつい寝てしまいました。しばらくすると大杉から大蛇が降りてきて今にも泰藤を呑み込もうとしていますが、泰藤は何も気づかず眠り込んでいます。その時、つれてきた白い犬が大蛇を見つけてしきりに吠えたので泰藤は目を覚ましたが、大蛇には気づかずまたまた寝入ってしまいました。でも犬は吠え続けているので、眠りを妨げられ怒った泰藤は刀を抜き犬の首をはねてしまいました。すると犬の首は上へ飛び上がって大蛇ののどに噛付き、大蛇をかみ殺しました。泰藤は驚き、後悔し、暫く茫然としていましたが、忠犬の霊を慰めるため犬頭霊社としてこの宮に葬りました。(「岡崎の観光文化百選とその周辺」より)」というものです。
 上和田の城主・宇都宮泰藤は南朝の忠臣で、延元3年(1338)、足利尊氏が京都で晒しておいた新田義貞の首を密かに奪いこの神社の池中の塚に埋め、その首を隠すため犬頭伝説を流布させ、犬頭霊社を祭ったと伝えられています。又、約2km程南の下和田町「犬尾神社」 にはこの犬の尾を祀って弔ったという伝承が残っています。

社号標
「糟目犬頭神社 延喜社」
神社入口
参道の様子 境内入口
慶長10年(1605)岡崎城主・本多豊後守康重が寄進した
市内最古の越前式鳥居。
拝殿 本殿
慶長15年(1610) 岡崎城主・本多豊後守藤原康重寄進の本殿前に置かれた狛犬で、
越前石(笏谷産)で造られています。吽には小さな角と雄の印が有ります。高い塀に囲まれ、
これ以外の角度では撮影ができませんでした。奥目で小さな顔にス〜ッと鼻筋が通っていて、
短い顎髭を蓄え、鬣は二段のストレートボブカット、尾は付け根から三本に別れ真っ直ぐ立てています。
横向きの姿も見てみたい狛犬ですね〜。
(慶長15年(1610)建立)
神楽殿 大和田島弁財天
境内右側蓮池の中の島に新田義貞の首を隠し、
犬頭伝説を流布させた後、犬頭霊社として祀りましたが、
現在では滋賀県の竹生島より祭神・市杵島姫命を勧請して
大和田島弁財天として奉斉しています。
霊峰のような形をした「百度石」 境内の様子

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