須佐之男社

名古屋市中川区柳川町7-11 (平成24年4月29日)

東経136度53分57.34秒、北緯35度08分09.87秒に鎮座。

この神社は、金山駅の南西600m程の辺り、柳川公園の中に、(と言うより、境内の一部が公園のなった?)鎮座しております。市街地の中ですが、隣が公園と言うせいでしょうか、大変緑豊かな神社で心静かに参拝することが出来ます。

社史
本社は慶長年間堀川べりに熱田区住吉町住吉神社と供に、川の東西に奉鎮し、其の西方はこれ乃ち此の神社にして川の守護神、疫病の防禦神、家内安全の御神として、海部郡津島町国幣小社津島神社より勧請したるものなりと口碑に残っている。
明治三十年頃に至りて移住者増加し崇敬者も多数になり明治末年頃より、大正、昭和、の時代に至りて土地大いに発展し崇敬者とみに激増し古の広漠たる原野も一朝にして、八町区を有する市街となし崇敬者も殆ど九00余戸に達し付近に一の社村(村社?)も無く、故に自然に崇敬者守護神と仰ぎて御神威愈よ崇高なるを見るに至れり。昭和十二年七月八熊土地整理組合より現境内地を購入。続いて昭和十四年五月御本殿玉垣、御拝殿社務所を始め種々工作物を新築竣成し完成を見るに至も、昭和二十年三月十九日戦災に依り社務所のみを残し他建造物を消失せしめたり。誠に遺憾であり崇敬者一同より再建の議起こり、昭和二七年一月造営奉賛会を結成、御本殿、祭文殿、神饌所、及び渡殿、外三末社を新築、昭和二七年十月七日御遷座式典を斎行、今日の威容を見るに至りしが、建築以来今日迄半世紀の歳月、其の間昭和三六年の伊勢湾台風など風説に耐え、今日に至りしが御本殿、祭文殿、外三末社、屋根、痛み激しく、銅版に依る全面葺き替え及び、御祭神鎮座奉る本陣内の風化も想像を越えるものであり全面修復、本殿玉垣、表参道、全面更新、此の修復事業は五十年振り平成の大修理と位置付け、柳川町町内会、八熊一丁目町内会、八熊通り町内会、八熊東部町内会、八熊中部町内会、八熊三丁目町内会、氏子崇敬者の御寄進金に依り修復する。・・・・・
境内由緒書き より

御祭神は須佐之男命、創建は熱田区住吉町住吉神社と供に・・・とあるので、享保19年(1734)と思われます。

鳥居と社号標

蕃塀

境内

拝殿

拝殿内部

本殿

秋葉社 多賀社

お塚社

重軽石