物部神社

名古屋市東区筒井3-31-21 (平成27年1月4日)

東経136度56分04.68秒、北緯35度10分12.82秒に鎮座。

この神社は、JR中央本線・千種駅の北200m程の辺り、石神公園の隣に鎮座しております。

御祭神 宇麻志麻遅命

由緒
この宮は延喜式神名帳(905)尾張愛知郡の部に物部神社、御祭神宇麻志麻遅命(うましまじのみこと)と記帳され、また国内神名帳(1707)に従三位物部天神と記されています。(天神とは天津神と申し上げる称号です)
尾張府誌には神霊は一塊の大石で神武天皇が当国の凶魁を討たれた時、此の石を国の鎮めとなされたため要石と称され、この古事によって石神の名が起り、この様な大石は世に根なし石とも伝えられ、(全国には水戸、鹿島の三ヶ所に存ずると言う)元禄年間(1688〜1703)藩主綱誠(三代)は社殿の重修、遷宮されて、俗に石神堂山神と称して近くの人はもとより遠くの人々まで厚く信仰されています。
境内由緒書き より。

垂仁天皇の御代に初めて社殿を造営したと語り継がれている。平安時代前期の延喜式神名帳には愛智郡(愛知郡)の式内社として物部神社があった。平安時代末期の尾張国内神名帳には、従三位物部天神と記されている。JR中央本線千種駅を中心として物部神社や高牟神社がある地域は、古代には物部郷古井村、中世には鳴海荘古井村と呼ばれ、物部氏の拠点があったとされる。いずれも式内社の両社は400メートルほどしか離れておらず、尾張名所図会には物部神社と高牟神社が同一図に描かれている。元禄年間(1688年-1704年)には、第3代尾張藩主徳川綱誠が社殿を修復した。1868年(明治元年)、尾張国千種村の本社が延喜式神名帳の物部神社に同定された。つづいて村社に列せられた。1953年(昭和28年)には本殿拝殿が造営された。
祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遲命。尾張国や美濃国には数多くの物部神社が存在したが、多くが合祀された結果、現在では尾張国では本社だけが残り、美濃国では本巣に2座のみが存在するという。
ウィキペディア より

神社入口

鳥居と社号標

拝殿

拝殿内部

本殿


大國主之命

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(明治38年(1905)12月建立)

物部白竜社

物部天神社

末社